カズオ・イシグロ著 『遠い山なみの光』 早川書房

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

カズオ イシグロ / 早川書房



【あらすじ】イギリスに暮らす悦子は、娘を自殺で失った。喪失感に苛まれる中、戦後混乱期の長崎で微かな希望を胸に懸命に生きぬいた若き日々を振り返る。新たな人生を求め、犠牲にしたものに想いを馳せる。『女たちの遠い夏』改題。
王立文学協会賞受賞作(ハヤカワオンラインより)


お友達に薦められて読んでみました。
映画化作品の『日の名残り』『わたしを離さないで』を見ていましたが、作品は初めて読みました。
後者を見て、美しく静謐でその半面仄暗く濃い影を持つイギリスの古い風景の中で、クローンとして生きる運命の若者たち。
この全く相反するもの同士の組み合わせで、それは勿論メタファーなのだけれど。
こんなに奇妙な取り合わせなのに、痛烈に生と死に向き合わされた物語でした。

『日の名残り』の映画はアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンがその巧さを充分過ぎるほど魅せて良質な作品に仕上がっています。それはそれで自分の中で完結してしまって。
また、ちょっとこれを更に文章で読むのは辛いかもという父子関係の場面もあって、お友達は薦めてくれたんですが避けてしまいました。

で、この作品を選んだんですけれど。
引き込まれてずんずん読み進むことができました。私にしては早い読了。

これは翻訳が見事で、完全な日本語小説に完成させていました。

「どのくらいでかけていらしったの?」
「じっさい、向こうへ帰ったらこんなに朝寝坊をしちゃいられない」
「なにをしてらっしゃるか知れたものじゃないわ」
等々。

超訳。・・・この言葉、なんかシドニー・シェルダン思い出してやなんですけど(笑)
当時独特の語調やニュアンスが表されていて、正に戦後の日本。
太宰とか有島武郎のような。小津を連想する人もいるかもしれないですね。

イシグロ氏は幼くして渡英されてここまで日本語ご存じなのか、人物名の漢字表記にしてもどんな指定があったのかと思いきや、あとがきによると指定されたのはある人物に「この漢字は使わないで」というただ一つだけだったとか。
共著と言っても過言ではないのでは。

舞台はイギリスの田舎。そこに住む主人公の悦子は戦後まもないころに住んでいた長崎で出会った女性のことを思い出す。
その頃、悦子は夫・二朗との間に長女・景子を妊娠していた。
物語は語り手・悦子の回想と共に進んで行くので、悦子本人が記憶にない部分だけでなく、「書こうとは思わない」と断って、長女の自殺の原因には触れていない。
第一章の文章から夫は外国人のようで、次女・ニキはその再婚相手との娘。
あの妙に神経質な側面を持つ二郎とは離婚なのか死別なのか、再婚相手についても言及されていない。
思い出の中には他にも不明な部分があって、友人・佐知子の娘・万里子を探しに行ったときに足に絡まった紐については特に謎。
万里子からその紐はなに?と訝しがられてもただ「足に絡まっていたのよ」と答えているだけ。
その紐は一度ならず二度までも、悦子の足に絡まってきたというのに。
それが不気味な印象を落とすのは、近所で子供が被害者となる連続殺人事件が未解決のままであること。
結局この事件は解決したのか書かれていないし。
万里子自身も幻覚を見るという不思議な体験を訴えるのを悦子も心配するのだけど、佐知子は取り合わない。
帰ってこない娘を探し回っているのに、心配はないと嘯く。
寂しさからくるものと推測されるのを拒否している。
過去に裕福な生活をしていたらしくプライドが捨てられない。
悦子に仕事や金銭まで頼らずにはいられないのに、頻りに強がってみせる。
遠い日のその母娘に重なってみえる悦子と景子。
ニキとの会話から、あの幸福そうな若奥さんが娘の葬儀を出すに至るまで起きたであろうことを、読者に薄々勘付かせます。

佐知子の対照として、うどん屋をひとりで切り盛りしている「藤原さん」という女性を置いています。
元は賢夫人だったのを悦子の義父がしきりに不憫がるが、そんなことはおくびにも出さず明るく逞しく生き抜いている。
戦後の急成長で仕事に忙殺される夫の対照として、価値観の急激な変換に抗う教育者だった父親。
悦子の周囲を時代の縮図として描いています。

均しく突き付けられる無情な現実と、幸福すら曖昧模糊とした遠景。
ひとは皆、遠い山なみの向こうで光るものへ思い馳せて、時に望遠鏡で光源を探したりするんですね。

fgさん、薦めてくださってありがとうございました。


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Commented by fg_garden at 2012-06-30 11:29
こちらこそ有難うございました。

お姉さんの感想はいつ読んでもはっとさせられます。

もっと近くに住んでいて、たまにお茶しながらお話できたらなと思います(笑)

「裏切りのサーカス」ご覧になったんですね。
う、羨ましい。
Commented by august22moon at 2012-06-30 22:56
fgさん、ほんといつかゆっくりお会いしましょうね!

「裏切りのサーカス」は、面白かったです。
今は、育児にお忙しい時で映画どころではないですものね。
でも最近はTV放映も早いから。

映画だけでなく本も好き嫌い苦手が多くて。
読むべきものを随分逃してます(苦笑)
by august22moon | 2012-06-28 23:54 | 読書 | Comments(2)