フリオ・コルタサル著 『悪魔の涎・追い求める男』 岩波書店

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

コルタサル / 岩波書店



舞台『南部高速道路』を観なかったので、原作読んでみました。
短編集で、表題作の他に8編収録されています。
中でも「占拠された部屋」は面白い設定で、この上ない不思議。
なんなのだろう。なにがいったい次々と屋敷の部屋を浸蝕しているのか。
税金なんかの比喩なのかしら。でもそれじゃ興ざめだし。
「それじゃ、こちら側で暮らすしかないわね」って、住人の兄妹の危機感の無さったら・・・。
考えると恐ろしくて。面白い作品でした。

南米の作家では、コロンビア出身のガルシア・マルケスが好きでほとんどの作品を読みましたが、幻想的な要素は似ていました。
マルケスはその舞台が地元で、南米独特の生ぬるい風とか強烈な日差しや濃い花の香りまで感じる、濃厚なムードがありました。
コルタサルはアルゼンチン人ですがベルギーで生まれ、後にブエノスアイレス近郊に移り住んだとのことですが、ヨーロッパの洗練されたムードと涼しげな空気を感じました。
だからなのか、登場人物の迷いや動転に、息苦しくなるような切迫感がありませんでした。

つまり、グランドホテル形式的ではあるけれど、各自のドラマはそれほど詳細に設定していませんでした。
渋滞の原因も判然としないまま、受け入れざるを得ない状況に陥る人たち。
生活能力を駆使して協力しあったり。
リーダーを決めて秩序を保とうとまでします。
もちろん人が集まったところには諍いも起こる。
この人々の連帯感はこの困難で不可思議な状況に於いてのみ生まれたものなので、解消されれば共有していたものは破棄されるんですね。あっさりと。
そこに寂寥感はないわけです。

例えば、火災の発生した高層ビルに取り残された人々だって、異常気象で世界中が凍って図書館に閉じ込められた人々だって、爆弾を仕掛けられたバスに乗り合わせた人々だって、解決すればそれぞれの元居た場所へ戻るし、目的地へ進んで行く。
「寝食」の「寝」が個別だからというのも大きいんじゃないかと。
(技師とドーフィヌの女はともかく)
ユニークなのは、その異常な状況がありえないほど長期間に及ばせて、不条理劇と設定したこと。
名前も尋ねず車種で呼ぶのも、こんなに長期に渡るとは思ってもいない所以。
だから、妊娠ってのも嘘だと思われ。アヴァンチュールなわけで。
第一、技師にしても、それほどに親密になってまだ名前を尋ねたという記述がない。

タウナス、シムカ、アリアーヌ、ドーフィヌと知らない車種が多いので、調べながら読みました。
ルノーのドーフィヌ(ドーフィン)やアリアーヌはいかにもフランス車で。
アヌーク・エーメやジャンヌ・モローあたりが優雅に降りて来そう。

by august22moon | 2012-07-22 00:43 | 読書 | Comments(0)