2014年 11月 10日
リチャード・アイオアディ監督作 『嗤う分身』
原作はドストエフスキーの「二重人格」。
これは誤解釈で誤訳だからか、「分身」と改題されているものもあります。
今作の邦題は言い得て妙で良いのではないでしょうか。
原作のイメージを残してか、ロシア訛のように喋るひともいたり、地下鉄車内やダイナーやアパートの景色はロシアのような印象を受けました。
ゴリャートキンに当たるサイモン・ジェームズが勤務する社内の機器類が70年代位のSF映画に出てくるような可笑しみのあるデザインで、スピーカーやテレビも一昔前のレトロな品。
夜間や窓のない室内の場面だけで時代も場所も特定させず、不条理感を醸し出していました。
加えてなぜか坂本九さんの「上を向いて歩こう」やブルーコメッツの「ブルーシャトー」が大音量で流れるし、エンディングでは韓国語の歌が流れて、不思議感も満載。
サイモンを演じるジェシー・アイゼンバーグは、なにかといえば「I’m sorry」とオドオドしちゃう冴えない若者を好演。
(分身のジェームズは、アイゼンバーグお馴染みのマシンガントーク)
彼の恍けたような表情が活きました。
思いを寄せていたハナにピアスをプレゼントするのに迷わずTVを質入れする時や、ピアス買って廊下で小躍りする場面が新鮮に映ります。
ハナへと書いたカードが手書きでないのがこの青年の奥ゆかしさ。
会社内には妙な緊張感が漂ってるし、ダイナーのウェイトレスは失礼だし(もう行かなきゃいいのに)、母親は介護施設に入居してるという、気苦労の多い生活環境ですが、ハナがとてもナチュラルな女性に描かれているので、ザラついた低体温な夜の惑星に温か味を与えています。
サイモンのアイデンティティーがいとも簡単に崩れていく理不尽な出来事が警鐘的で、青年に降り掛かる不運をユーモラスに描いているので、観客置いてけぼりになりませんでした。
願望を具現化したような性格正反対で瓜二つの男が現れ脅威となって浸食されていくのですが、遂に反撃に出て最終的にどちらがサイモンなのか判然とさせないのは予想外で、面白い帰結でした。
地元の映画館では、「ミニシアターセレクション」と銘打った上映が始まりました。
なぜかシュワちゃん作品もあったりするので、ミニシアターの意味はいまひとつ分かりませんが。
『パークランド』は上映してくれないかしら。
wowowが提供に絡んでいるので放映を待ったほうが早いのかな?