『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』 山と渓谷社

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

羽根田治 / 山と渓谷社



雑誌「山と渓谷」バックナンバーの広告で知りました。
09年発生当時はニュースや雑誌で多く取り上げられたとありましたが、記憶にありませんでした。
気象遭難の悲劇はむしろNHKの特集を見て衝撃を受けたこともあって、94年に起きた吾妻連峰雪山遭難の記憶の方が鮮明でした。

大雪山系トムラウシ山に於ける、ガイドを含む18人のパーティーで9人が生きて下山することのなかった気象遭難の記録です。
生存者のうち自力下山は5名で、いずれもツアー客。
パーティーのメンバーはサブのガイドが38歳。ツアー客は1名が55歳で、他は全員60歳代。

生存者の証言と調査委員会の報告書を照会し、なにが起きたのかを検証する第1章の他、当時の登山状況が気象学の観点からも細かく分析されています。
それが決して特異な異常気象ではなかったことが驚きです。
また、夏山での低体温症がいかにして起きたか、ツアー参加者の明暗を分けたのはどの部分だったのか、運動生理学の観点から、必要な摂取カロリーや日頃の訓練状況が個人別に分析し、考察によって登山への充分な心構えを提唱しています。

極限状態での記憶に曖昧さは否めませんが、年齢性別体力の差を鑑みても、ツアー客の中にはさほど寒さのダメージを感じていないひとがいたことは注目すべき点でした。
隙間から雨が吹き込む状態の避難小屋で、濡れた装備をどのように対処したかも明暗を分ける一因。
干す場所もままならず、着たままになったひと、干しても結局乾かなかったひと、こまめに乾いたタオルや新聞紙を駆使し水気を拭きとっていたひと。
予想以上の強風で体感温度も下がっていく降雨の中で合羽を一旦脱ぎ、保温効果のある上着を着られたひと。
強風の中でとても一旦脱ぐことはできなかったひと。
意識が朦朧として持っていることすら頭を過らなかったひと。
荷物が重くなるのを覚悟で、行動食を十分持参して適宜摂っていたひと。
そして持っていても食べられなかったひと。

具合が悪くなったひとを介抱するために他のひとを強風のなか待たせていたり、天気予報を詳細に調べなかったり、ガイドの判断ミスも重要な問題点。
しかし「なぜ出発を強行したか」「天候の確認は適切だったか」という問いに答えられるガイドリーダーも故人となってしまった。
判断ミスだけでなく、ツアーという盲点も挙げられました。
日程が延びれば様々なキャンセル費用により会社側に損害が発生する。
次に来るツアー客の為に避難小屋も空けなくてはならない。
ツアー客も仕事があるから予定通りに帰りたい。
気心の知れた仲間同士ではないので、こんな天気に出発したくないと、自分だけ我儘を言うわけにはいかないから我慢してしまう・・・等々。
命を脅かされた生存者が強く批判・非難するのも当然ですが、不幸な偶然が重なってしまった結果だとツアー会社に過失責任を追求する姿勢でないひともいるのが意外でした。
低体温症で動けなくなった後、意識不明のところを救出されたサブガイドのひとは第2章のインタビューで、生き残ってしまった罪悪感に苛まれていると答えているんですが、
ツアー客の生存者にもこの辛さは在ったことでしょう。

このパーティーの捜索中に、単独で入山した男性登山者も遺体で発見されている。

甘く見ていたひとは居なかったでしょうが、それでも起こってしまう気象遭難。
山の過酷さを知ったのでした。


本・読書
by august22moon | 2015-07-06 21:23 | 読書 | Comments(0)