桜色の雑記帳

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野田秀樹演出 『半神』 東京芸術劇場 NHKBSプレミアム放映

d0109373_1723720.jpg国際交流基金の共催で、東京芸術劇場と明洞芸術劇場で昨年上演されたオール韓国人キャスト版。
初演版を部分的には見たことがあったのですが、全編通じては初めて見ました。

字幕のセリフはほぼ同じようですが、野田作品特有の言葉遊びのニュアンスをハングル語でどう翻訳したのか。
「果て」と「はて?」とか「三次元と四次元の間には時間が~四次元と五次元の間には給食がある」とか。
シュラの苦悩を知った家庭教師の言葉をブラッドベリの『霧笛』で表した場面は、是非とも日本語で聞きたいところなんですが、家庭教師役の俳優さんが、言語が違うことが気にならない演技でした。
シュラ役の女優さんも魅力的で、マリアへの葛藤と家族との確執を見て、今更ながら気付きましたが、この設定は『イグアナの娘』に共通している部分もあるのですね。

原作は短編で、萩尾氏特有の凝縮されたセリフとコマ割りが短編であることも忘れるほど濃密なお話し。
これに野田氏特有の言葉遊びと、思想の深く壮大な広がりと転がり(笑)を加えて、シュラの苦悩を描いて見事な作品でした。
タイトルの『半神』を魂の意味とせずに、スフィンクスや聖ガブリエル等の神話の神たちを登場させて、結合双生児を神話世界の仲間とし、人間界から取り戻そうとするので、双子はまるで堕天使のよう。
役名も原作と変えてユージーをシュラ、ユーシーをマリアとしたのは絶妙。

でも最後、なぜユージーのあのセリフで終わってくれなかったかなぁ、
萩尾さんはそこに拘りはなかったのかしら。
神話を絡め、シュラの心をマリアの肉体に残すという分離を施されるので、原作のように最期まで無垢な笑顔を向けるマリアの哀れやシュラの驚愕は描かれない。
命を掛けて個人を獲得したシュラがマリアのふりをして生きながら、親族との集合写真に過去の自分の亡霊を見せる場面は少々コミカルでしたが、シュラの辛さと後ろめたさが突き付けられました。

あれほど望んだ孤独は、やはり「夜ふけになると鏡の前でそれをぶら下げてうっとりと眺める。まるで宝石みたいな」ものではなく、世界の螺旋の渦の中に永遠に回り続ける。 
このシュラは、雨の夜に孤独に涙することはなく、
夜毎、彼方まで続く二重らせんを見上げるのだろう。マリアから発せられる霧笛に耳を傾けながら。

by august22moon | 2015-08-06 21:15 | 観劇 | Comments(0)

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