桜色の雑記帳

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出会った本、映画の感想。日々のこと。

原一男監督作 『全身小説家』 wowow放映

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公開当初に映画雑誌で見た、不機嫌極まりない表情でベージュのコート(に、見えた)の襟を立て乱れた髪で路地に立っている画に、こんな格好で日々過ごしているのかと勘違いし苦手だ見られないと先入観がありました。
ところがこれは、新年の挨拶に来た「伝習所」のメンバーたちを見送っている図、だったのですね。
表情としては偶然のもので、いつまでも別れを惜しんで振り返るのを、「早く帰ってくれないと(部屋に)戻れない。寒いんだよ」と言って皆を笑わせていたところでした。
服装もコートではなく癌闘病中でガウンの襟を立てていたんですね。

映画は、井上光晴氏の自作年譜がいかに創作であったか検証していくのですが、まず井上氏が実際にカメラに向って経歴を語ったり、講演会のような場所で聴講者へ向けて感情の昂るままに語っているのを映しています。
そして、生まれ育った「崎戸」のひとびとや、親類たちがそれらの話について、「それは嘘です」「そんなことはなかった」と、否定していくのです。
子供の頃から「うそつきみっちゃん」と呼ばれて虚言癖があったようなので、古い知り合いは慣れているようです。
実妹は、からりと「ああ、それは嘘です」と一蹴するようすにも、それは見られます。
いずれも責めることも呆れることもないのは、既に一流の作家であることや半永久的に残る記録映像であることへの配慮も感じられます。

嘘の過去の部分は役者が演じて完全にフィクション扱い。しかしこれがまさに小説。劇的で面白い話です。
親交のあった瀬戸内寂聴氏は「嘘をついてまでも守りたかった一線があったのだ」と擁護します。
それほどに、親の愛情にも恵まれず辛酸を舐めてきた過去があったということなんですね。
私は、嘘で塗り固めて隠し忘れたい過去だということではないかと。
しかし、入念な取材をして虚実を暴いておいて、なぜ過去を偽っているのか本人には問い質していないんでしょう。
突き付けられた時の作家・井上光晴の反応など、原一男監督にとっては無用だったのでしょうか。

理解できなかったのは、氏が主宰する「文学伝習所」の女性。
井上文学に傾倒支持しているだけではなく、井上氏に対して恋慕の情を抱いているのです。
その視線が別の女性聴講者に向けられるだけでも嫉妬し悩んだと、なんとカメラに向けて告白する女性。
それほどに悩み苦しんだのかもしれないけれど、映画のカメラの前で吐露するのには、ちょっと戸惑いました。
お年始に伝習所の仲間たちと訪れた井上氏の家のリビングで、仲間に「先生のセーターとお揃いの色だ」と冷やかされると満更でもない照れ笑いをするその女性。
カメラはそのままパンして、キッチンで水音も高くまな板を洗っている奥さんの背中を映します。
作為的とまでは言わないけれど、やっぱり映したくなっちゃうんでしょうね。
映画『火宅の人』みたいに、桂がどこぞで貰ってきた荒巻鮭の頭を妻・ヨリ子が出刃包丁でズドンと落とす・・・みたいな事が起きてたら尚更に作為的ですけどね。

病状が進行する夫に着かず離れず寄り添う奥さんの毅然とした態度は、清々しさがありました。
彼女は夫の虚言についてどう受け止めていたのか。
実妹同様にそんなことは不問に付したような堂々たる佇まいが美しかったです。

井上氏自身の横顔よりも、その周囲のひとたちの表情のほうが興味をひかれました。
特に、「赤ひげ」などと自称する怪しげな民間療法の医師に向けた、寂聴氏の露骨に訝しがる表情は傑作。

確かにひととしてはかなりな曲者で、男性としても罪深いひとだったようで、女性関係は華やかであったようです。
風貌や物腰などは少し気難しいいかにも作家という印象で、周囲をどれほど振り回すようなクセのある人間だったかは一見しては分かり難い。
どこにでもいそうな、平凡な男に見える瞬間もあります。
作品は読んだことがありませんし、今後も読むことはないだろうと思います。

崎戸という地名からなぜか城の崎という地名を連想し、久し振りに読みたくなって
本棚から昔読んだ『城の崎にて』(なんと旺文社文庫版)を引っ張り出して読み始めたのであります。
文体がきりりと気持ちよい。あの眼光のように。



映画
by august22moon | 2015-09-18 23:46 | 映画 | Comments(0)

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