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by august22

阿川弘之著 『鱸とおこぜ』 講談社刊

サアカスの馬・童謡 (21世紀版・少年少女日本文学館18)

安岡 章太郎 / 講談社


中学の国語の教科書で印象に残っている作品で、題名も著者も解らなかったけれど発見したよシリーズ。これで全て解決編です。
「カルガンの星」「見たことがありますか」は詳細が判明しましたが、最後に残った1作品の著者名・題名が遂に判明しました。

職場の忘年会で、国語の教科書に載っていた小説の話になりまして。
そのことを話しましたら当然若い人たちからは総スカンをくらいましたが、最近その小説を読んだひとから、「アレのことじゃないかな」とあっさり正解を得られました。
8月に亡くなったことで阿川作品を改めて読んでいたらしいのです。
戦記物や「やえもん」でもない阿川作品だったとは意外な気がしたんですが、どうも掲載されていたのはこの作品の一部、釣り客側のことを書いた部分だけだったように思います。
七万年来の因果応報だの甲状腺機能云々などまず読んだ記憶がないですし。
大概の作品は短編といえども教科書には全編掲載されないことがありますからね。
検索したところ、地元図書館には児童書の「21世紀版 少年少女日本文学館」シリーズのみ。
しかしこの検索で、あちこちのブログの数年前の記事でこの作品が登場し、折に触れて思い出される文章として挙げてらっしゃる方が多いことが分かりました。著名作家の作品ならでは。

絨毯の上をトコトコ歩き回ったり何も無いところで唐突に転んだり、「ほんいっぱいねー」「ぱんまーん(多分アンパンマンの意)」の間をぬって借りてきました。
児童書扱いですから、こまめに意味が記載されていたりイラスト入りで解説があったり。

お話しはディズニーよろしく、魚たちを擬人化したもので、主役は鱸。
おこぜは医者。途中と最後に出てくるクラゲはお坊さんで念仏を唱えています。念仏水母。
この鱸が体調が優れずそのことでずっとぼやいていて、渋々医者に相談するもなんとも怪しいアドバイスをされる。
鱸は一徹な性格と設定してあり、だいたい医者に頼ることも不愉快で素直に受け取らず、納得しないながらも医者の言葉通りにしてみるんですが、この鱸がまるで阿川氏自身のようです。
氏の体験談からの創作なんじゃないかと思えるのです。
阿川氏といえば軍人気質を残した気難しそうな印象があり、対談番組で北杜夫氏のヌーボーとした可笑しみを遠藤周作氏のように笑い飛ばすこともなく、鼻でふんと反応するだけだったり。
娘・佐和子氏がひとり暮らしをしようと、家を出たいと打ち明けた時、「結婚かっ!」と途端に不機嫌になり、結婚ではありませんと言えば「同棲かっ!」と取りつくしまもなく怒ったエピソードをユーモラスに紹介されたのも読んだことがあります。

第一この鱸の自覚症状、魚でありながら「胃が痛んで、頭は重かった」そのため「やたらに気分がくしゃくしゃとするのだ」と、どうやらストレス性なのがまず可笑しい。
で、海老が主食という日頃の食生活を省みて「もっとビタミンCを摂らなくては駄目だぞ」と自己分析。
厭々ながらも海藻を食べ始まったところを釣り客によって釣られてしまい、生け簀で先に釣られていたおこぜに向って腹立ち紛れに食ってかかるのですが、おこぜはこれが運命と達観していて馬耳東風なのでありました。
さて。問題の部分ですが。
鱸やオコゼが住まう、瀬戸内海に釣り船を出した男たちを描写した中にありました。
釣り船が浮かぶ穏やかな昼の瀬戸内の描写です。

「島は眠っている。海も、苫船も眠っている。縫島の突鼻の崖に咲いた鬼百合も眠っている。
松の上で舞っているとんびも、半分眠っているにちがいない。知らない人は行って御覧なさい。
内海の午さがりは、どう考えてみても森羅万象が午睡をしている。」

風景描写はぼんやりとしか記憶がないのですが、印象に残っていたのはこの最後の一言でした。
森羅万象という言葉も確かここで初めて知って、その意味の大きさと漢字の妙や響きも印象的だったのです。
遍く一切の時が停まった‘すべて世はこともなし’な風景を想像して、授業は上の空だったかもしれません。
家に帰って母に、こうゆう大きな表現があったことの驚きを話したものでした。
母はそんな私を微笑んでみていましたが、心のどこかで森羅万象知らんかったのかと呆れていたかもしれません。

この瀬戸内の描写の中に、飛行機が数機、急降下を繰り返していて、そのあとに爆発音がするという文があります。
「朝鮮帰りの飛行機が、あすこで、使わなんだ爆弾を始末して行く」と船頭が説明しています。
「小さな黒い飛行機」としか書かれていませんが、朝鮮戦争時に日本から出撃した米軍機ということでしょう。
今作の発表が1952年(昭和27年)ですから、朝鮮特需で潤っていた時代の話だったんですね。
長閑な昼下がりの向こうの時代描写を差し挟むところはいかにも阿川作品らしいと感じました。

他には安岡章太郎や吉行淳之介などが収録されており、久し振りに安岡作品も堪能。
「童謡」という作品も、国語ではなく道徳かなにかの教科書に掲載されていたと思うのですが、私はこれが勝手に太宰作品だと長らく勘違いしていました。
長患いでやせ細ってしまった少年が、リハビリにと散歩をしているんですが、まだ本調子でないためによろけてしまう。よろけた瞬間に視界の端に見覚えのある少女が見えて、「全部見られたな、とおもった」という場面を記憶していたのです。
そこに、まだ少年なのに男としてのプライドが既に芽生えているようすが、漠然と太宰のようだと思ってしまったのです。
授業で先生から、少年のようすを説明した部分を挙げよと言われ、数人で該当する文章を答えたのですが、「尻の肉も全部削げ落ちて、肛門が長い管のように突出してしまった」という部分だけが残ったのでした。
それは、読みあげるのに抵抗があったのが私だけではなかった故でしょう。
しかしほどなくひとりの女子が手を挙げて、事も無げにその文章を読み上げたのでした。
文学作品を前にへんに考え過ぎたことが反って恥ずかしいような心持ちになったことも思い出しました。

やれやれ。一昨日の夕飯も思い出せないのに、昔のことはよく憶えてますこと。


本・読書
by august22moon | 2015-12-29 21:00 | 読書 | Comments(0)