2016年 04月 29日
アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作 『レヴェナント:蘇えりし者』
周囲が騒ぐほど本人はオスカー無冠を意識していないのかもしれませんが、これでもかとハードな役にエスカレートしていってのこの役。
映像はとにかく凄くて強く印象に残りました。
日暮れや夜明け直後の仄暗い時間帯ばかりで、映像全体が黒々と暗く、色といえば雪の白と夕陽と炎の赤と夜明けの薄青い空と群青の夜空の青だけ。
カメラも低いアングルからが多く、黒く湿気った土に這いつくばり、高い木々を見上げる登場人物と同じ視点。
この昏い森の木々を見上げるショットが多いのですが、とても印象に残りました。残像となって現れたほど。
冒頭で、ディカプリオ演じるグラスたちが、川沿いの森で先住民のアリカラ族に襲われる場面。この時の映像の迫力が凄かった。
逃げ惑う人たちと同じ低い視線で走り抜け、そのまま馬で追うアリカラの戦士と並行して走る。怒りに満ちた顔のすぐ横にまでに近づく。そのカメラワークに息をのみました。
蛇行した川の対岸に立つアリカラ族一群の映像は、委ねようと変る心情を理解できるほど、息がとまるほどに荘重で神聖さがありました。途中で出会った廃墟の教会よりもさらに、夢のなかの絵のよう
瀕死の重傷から立ち上がり過酷な旅を乗り越えて復讐を遂げる男の実話と簡単に言ってしまえば、既視感の生まれてしまうストーリーを映像力で圧倒しました。
冴え冴えとした雪山の風景も、広大さというのではなく、人を寄せ付けない厳しさが感じられました。
坂本龍一氏の音楽も映像に沿うように、荘厳で重厚。なんとゆう孤独感。
重低音の弦楽器は、憎しみと哀しみの底に淀むような、微かな生の果てに流れているような音色でした。
ヒグマが人を襲う実際の事件に関するドキュメンタリーノベルはいくつか読みましたが、小熊の居た状況であのグリズリーは、急所である首の攻撃も中途半端で、まだ息もあるのを確かめておきながら、なぜ仕留めなかったのかな。原作で実際にそうだったということでしょうから言ってもせんないですね。
さて、肝心の主演氏の演技でありますが。ん~ どうなんでしょう
極限状況という負荷を堪えてやり切ったことで熱演と称えられ、受賞に値すると評価されるのは、聊か疑問です。それでは功労賞になってしまう。
息子を殺された男の悲しみと既に在る妻を失った悲しみ、復讐の一念、それを達成する間際に神に委ねるべきと悟る崇高さが、いかに観客の胸を打ったかにあるのでしょう。
まずディカプリオは見た目が若いので、あの年齢の子供の父親に相応しいように声を低くして威厳を表してしていますが、それでもまだ若い。ポスターぐらいの年の少年なら相応しいし、観客に訴えやすいのでは。
不自然とまではいいませんが、しっくりこないことが邪魔にはなりました。
正直なところ、彼の無念さに心を抉られ、寄り添うことはありませんでした。
グラスの中で消えずに燃え続ける怒りよりも、演者の役に対する執念ばかりが際立ってしまうのでありました。
寝床とした馬の抜け殻に、感謝と哀悼を込めてそっと触れる。その仕草は刺さりました。
最後にグラスがカメラを凝視して、オープニングと同じに、生の証である深い吐息が暗転後も続いて終わります。
明らかにカメラのその向こうを凝視しているんですね。
この演出は一連の臨場感あるカメラワークの答えとなって、彼と旅を共にしてきた者(観客)へ向けて彼が初めて投げかけ問いかける視線だと感じました。