泉康子著 『いまだ下山せず!』 宝島社刊

いまだ下山せず! (宝島社文庫)

泉 康子 / 宝島社



d0109373_23153137.jpgカフェ『つきさむ』さんの本棚で知って図書館で借りて読んでみました。
94年刊行の初版ハードカバーだったので持ち歩けず、『つきさむ』さんで続きを読むこともありました。

86年12月28日に槍ヶ岳を目指した3名が最終予備日の1月4日になっても下山せず捜索されますが発見されず、3人が所属する登山会「のらくろ岳友会」の元・現メンバーや職場の山岳会メンバーなどが捜索し、6月27日・28日に2名発見。30日に残る1名を発見。

著者を始めメンバーがいかに仲間をみつけるために闘ったか、感銘を受けました。
メンバー各人が仕事の合間を縫って、目撃証言を募りルートを推理し、綿密に捜索計画を練り、何度も登り、遂に彼らの手で3人の仲間を「下山」させるのです。
捜索地点を絞り込むのがとにかく大変。
当日の12月30・31日は暴風雪が吹き荒れ、ほとんどのパーティーが小屋で停滞を余儀なくされ槍ヶ岳を諦めて下山しています。
「のらくろ」の3人以外にも遭難したパーティーもあったほどの悪天候。
年末に、槍ヶ岳を目指して出発地点の中房温泉を出発したパーティー17隊に、目撃情報を募る。
重要な証言が得られると直接会いに行く。
遭遇したからといって名乗らないこともあるので、それが当の3人か分からない。
装備品のメーカーや色の情報を添えても、記憶が曖昧だったりするので、3人がいったいどのルートで下山したかがなかなか分からない。

1月1日に常念小屋を出発し強風の常念岳中腹で、下山してくる3人と遭遇し、会話を交わした長崎県の登山者が現れます。
先頭の人は「昨晩はどこにお泊まりでしたか?」と問いかけてきて、普通に会話を交わしたけれど、15mも離れた次の人はちょっと会釈をしただけだが疲労が見えた。さらに30m離れて下ってきたひとは前の人のトレースを踏まずに迂回して進み顔を合わせず「ムッとした眼」で「近くですれ違うのを避けているよう」で、「精神的に険しいものを感じた」と。
「ぼくらは上まで行ってきましたが、風がひどくて引き返して来ました」という先頭の人の言葉で、初めて3人のパーティーだと気付くほどそれぞれが離れていた。
このようすで、彼らに何か重要な決断があったのではないか、常念から退却後に向かい風の厳しい大天井岳へは行かないだろうと、メンバーは推理するのです。
しかし、着ていたはずのヤッケの色は青なのに、「赤だった」と違うことから最後まで当の3人なのか疑問が残されます。

備忘録として、目撃情報。
28日 京都大学山歩会が、合戦小屋手前の樹林帯でエスパートメントを張っているパーティーを目撃。
29日 朝、日産栃木山岳部は朝に一ノ沢を下って下降。『岳人』12月号の「一ノ沢下降レポート」掲載記事を見て計画した。
昼近く、大阪市役所山岳部のメンバーが燕山荘を出発する3人を撮影。槍方面へ向かったか不明。常念登り、途中のテント場で目撃なし。
ブロッケン山の会・大天井岳手前のピーク(為衛門吊岩)近くの斜面に青いテント目撃。
30日 天気崩れ
31日 終日悪天候 西穂高で雪崩あり3件の遭難死亡事故と2件の行方不明。悪天候で槍を諦めるもの多く、京大山歩会・ブロッケン山の会のみ槍へ。常念にエスケープ6パーティー。朝、大阪市役所山岳会・小川パーティー暴風雪の中を大天井方向へ出発。
1日 長崎の大村勤労者山岳部の村山 常念中腹で下山してくる3人と遭遇し会話。
ヒュッテ西岳・避難小屋にもテントにも「のらくろ」らしいのは無し。
藤沢山岳会・夕方に常念小屋にテントも宿泊者も無し。
午前中・松本勤労者山岳会・東天井岳下りでの遭難者遺体確保。常念方向から目撃なし。
3日 大喰岳で東鎌尾根→槍から下山の3名目撃との情報


情報を精査し分析して推理していくと、やはり一ノ沢という雪渓を選んだ可能性が強くなってくる。
メンバーは当初、「雪崩が発生し易い冬の沢下りは危険」という常識から、そんなことはないだろうと考えていたところに、29日にこの一ノ沢を下って下山したというパーティーが出てくる。
彼らは山岳雑誌に掲載されていたレポートを参考に計画していて小屋の日誌にもこの計画を書きこんでいることから、これらを3人の誰かが読んでいた可能性もあると考え、先の会話を交わしたひとの目撃情報からも、疲労から強風を逃れることを優先したのかもと推察します。

2月14日になって、捜査会議の場に大阪市役所山岳部から連絡が入ります。「のらくろ」から送られてきた調査票の写真を見て燕山荘前で言葉を交わした人たちであると確信し、別のパーティーのメンバーが出発する3人を偶然写真に捉えていたと。表紙カバーの写真はその時のもので、歩き出している3人のその先に遠く槍が見えます。
これが遭難したメンバーの最後の姿となるわけですね。

4月はさらに底雪崩の危険がある。雪渓の雪解けを調査しながら、登山者が集中する5月連休後にローテーションを組んで捜索が継続され、6月27~30日の発見となるわけです。
調査登山には警察から無線も借りたり、準備が周到なことも驚かされます。

最初に発見されたメンバーのザックの中には元旦のために用意されたおせちの材料が手つかずで残され、テルモス内にはコーヒーがほぼ満杯に入っていた。
3人になにがあったのか、なぜ一ノ沢だったのかは、謎のまま。

目撃情報を募った際に、それぞれの「山の会」のひとたちは、捜索費用にとカンパを贈ってくれるんですね。
興味深かったのは、捜索に協力する遭難メンバーの職場である日産とHONDAの対応。
車両や食べ物の差し入れから家族の対応まで協力しあいます。協力合戦の様相。
HONDAは「長野県警もびっくりした」高性能ジェットヘリまで提供します。これは以前にも同様の事故があった時に本田宗一郎氏の指示で支援をした前例が在るそうで、そのことを日産側のある課長は「ルール化せず、社員の心の中に活かしている」と感心している。
しかし、帰ってこない社員に「給料」は当然支給されなくなるわけで。
社内規定によって、HONDAは12月、日産は1月で給与支給が打ち切られ、幼子を抱えた奥さんは生活のために働かなくてはならないという新たな現実が迫るわけです。
遺体が発見されるまで葬儀はしたくない遺族。
生きて帰って来る望みが絶たれたのなら区切りをつけたい遺族。
長期に渡る捜索費用の負担のことも考えると、辛いけれどどちらも無理からぬこと。

著者は「のらくろ岳友会」メンバー。発見までの道程だけでなく、雪崩の専門家とも会い、そのメカニズムの探求で締めくくられています。
3人が発見された時のようすから、それぞれがどのように流されたのかも分かってくる。
一ノ沢は底雪崩と表層雪崩が集中する場所であることが改めて判明し、著者はこのルートを紹介した『岳人』編集部に「常念一ノ沢は雪崩の巣だった」と現地レポの掲載を依頼しますが、編集長からは「一ノ沢レポートは読まずに載せた」「下った人があるのは事実」という返答で、レポの掲載はされず仕舞いだとか。
日々刻々と変わる状況下、危険をどう予測しどう決断するかの難しさを痛感しました。


メンバーが宿泊した槍までのルート上にある大天荘は、『つきさむ』オーナーさんが夏季期間中に勤められる山荘。
30年前の事故で勿論当事者はいないのですが、大天井岳頂上近くの大天荘は、槍ヶ岳に進むか常念岳に進むかの分岐点で、本作に登場するパーティーの多くが宿泊しています。
1日に松本勤労者山岳会・東天井岳下りでの遭難者2名のうち1名はビバーク後の朝に大天荘まで戻って救助されたりと、86年末の遭難事故を目の当たりにした小屋でもあるので、関係者としては読まずにはいられないでしょうね。
山好きの作家さんも宿泊されるそうで、どんなかたでした?と伺うと
「普通のひとでした」ですって(笑) それはなにより。

大天荘の冬期避難小屋(出入口の扉はどうなっているのか)や、稜線ルートのことなど伺い、よりリアルに読むことができました。

by august22moon | 2016-05-11 23:00 | 読書 | Comments(0)

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