2007年 09月 15日
G・マルケス著 『失われた時の海 』 筑摩書房
舞台化のずっと前に読んでいた ガルシア・マルケスの 『エレンディラ』。
観劇直前に読み返していて、収録されている『失われた時の海』 だけ読んでいないのに気づき、読んでみました。
海辺の村に突然、ハーバートという男が現れ、「しまうところもない大金に困っている」と演説を始める。
皆に富を分配したいが「わけもなくかねを分け与えるのは間違っている」と、悩みを解決し、得意なことに対する報酬として金を与えようと演説する。
特技を披露したり散々な思いをして、希望どおりに金を手にする者もいるが
中には、チェッカーの勝負を挑んで負けてしまい反って借金が増えてしまった者も出る。
借金の形に手にした家に寝泊りしたハーバード氏は空腹を満たすため
元の家主ヤコブに薦められるまま海へ蟹を採りに行く。
貧しい村で、ベッドにまで這い上がってくるほど大量にいる蟹ぐらいしか
腹いっぱい食べられるものがないのだ。
ハーバード氏はトビーアスという村の男を誘って海へ。
しかし、浜で蟹がたいして採れなかったので海底まで潜ってみると
そこには、水没した村が。
「日曜の朝11時頃に水没したんだ」とハーバード氏。
テラスに咲く花々が、まだ咲き乱れているからだというのだ・・・!
(海底に!?)
バラの花が咲いているのを見つけ、
彼が村にやって来てから始まったバラの香りの源を
香りを信じない妻に見せたいと思うトビーアス。
食べられるものを探して、さらに潜ると・・・大昔に亡くなった無数の遺体。
「最近亡くなった人たちの水域」では、ヤコブ老人の亡くなった奥さんが通り過ぎる。
奥さんの後には世界中の海の花が帯状に続く。
(ミレイの絵画「オフィーリア」を想像したりして。)
「きっと長い旅をしてきたんだ。」とハーバート氏。
海底で交わされる会話。
海底で「立ち止まる」ハーバート氏。
そんな「夢みたい」な光景を、ハーバード氏は「決して人に喋るな」。
「われわれは現実をしっかりと見据えなければならないのだ」
現実とはつまり、あの香りは二度と戻ってはこないということなのだと諭す。
そういえば、舞台『エレンデイラ』の中にも「日常に奇跡は必要ない」というセリフがありました。
ハーバートはなんのために村へ来たのか。
教会建設のための寄進をハーバード氏に頼みに神父が尋ねてくるが、肝心のハーバード氏は何日も眠り続け起きる気配もない。
村中を歩き回って寄付を募るも、僅かな額しか集らず落胆し村を出て行った神父は、嘆願をしすぎて身体が透き通っていき遂には身体が地面から浮き上がってしまう・・・。
ハーバード氏は現実に存在したのか。
急場の金を村人たちに与え、祭りを催し、
村は発展するぞと豪語し村人を当惑させた挙句、
世界にはいろいろすることがあるよと言葉を残し村を出て行ってしまう。
現実に起きたことなのか疑わしくなるような事が多いマルケス作品。
このお話はフランスの寓話を元に書かれたともいわれています。
マルケス独特の幻想的なお話でした。