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ジョー・シンプソン著『死のクレバス』岩波書店

d0109373_23514643.jpgTV放映で、『運命を分けたザイル』を見た後に、原作書名が『死のクレバス』だと知って、あれ?この書名は見たことあるぞ?と思い出しました。
『つきさむ』さんの本棚にあったんですねー岩波文庫版が。
で、図書館で借りてきました。
こちらはソフトカバーの四六判だったので、挿絵や写真が見やすかったです。
しかし、やはり文章だけでは状況や用具について分かりにくいので、映画の場面を思い出しながら読みました。

シンプソン氏の文章だけではなく、イエーツ氏の文章も掲載されているので、情報や心情が一方的にならずこの事故全体を知ることができました。
イエーツ氏がザイル(文中はザイルと表記されています)を切ってひとりで下山する時の、「私はミサに挑む司祭のように、厳粛な、注意深い手つきで服装を整えた」から「自分があらゆるものから見つめられているようだった。山頂や稜線の中に潜むなにかが、私を見下ろし、じっと待っていた」の部分は、この状況に遭遇した者だけが襲われる心境なのだと、実際のインタビュー以上に響いてくるものがありました。


山岳事故の記録は読んでいて辛い部分もありますが、小説のように現実世界を連想させるようなことがなくて、最近の自分の実情には合っているようです。


本・読書
by august22moon | 2017-09-19 23:00 | 読書 | Comments(0)

萩尾望都著 『ポーの一族 春の夢 vol.2』 月刊フラワーズ

d0109373_1859504.jpgこれ、前後篇ではなかったんですね。
次回発売は随分先だと思っておりましたのに、もうその冬がやってきました。
発売をすっかり忘れていて、発売日2日後に行った書店で最後の1冊を買いました。
が、前回にも増して厚くなってません?重かった(笑)

さて。エドガーとアランの絵に関しては前回と同じ感想です。
新たな登場人物がこれまたこれまでの一族の風貌とは正反対のキャラ。
なんだか「バルバラ」の登場人物みたいです。

エドガーが次の地へ移る手配のために、アランを残して数日若しくは「1週間」留守にすることはありましたが、どこで誰に会ってきたかは書かれてきませんでした。
そこがまた一族がいかにヨーロッパ中に密かに生きているか感じさせました。
今回は初めて、エドガーが会う人物が登場して、そこからまた新たな展開があるようです。

ともかくストーリーの深さ面白さは絶品な作者なので、展開は、楽しみです。
ただ、アランの容態に不安になる様子や、そのために助けを望むところは、らしくなさを感じました。
もっと、奥に溜めこむんじゃなかったのか。

次回は今月末。
忘れないようにしなきゃ

by august22moon | 2017-02-15 23:00 | 読書 | Comments(0)

ルース・ソーヤー著 『ルシンダの日記帳』 講談社刊

d0109373_17393612.jpgある日、登山関係の雑誌を読んでいた時のことです。初心者向けに熟練者の方々のアドバイスが特集されたページで、あるカメラマン氏の文章と小さな顔写真を見た瞬間にふいに、なぜかふいにまったく無関係な「1920~30年代を舞台にした英米文学」が過ったんです。
いったいなぜなのかまったく判りませんわ。
具体的に一瞬浮かんだ気がしたんですが、(嵐が丘?いやそれはもっと昔の話だし)瞬く間にそれは消え去って、はてなんのことだったんだろうと考えて、思い出したのが本作です。
これは児童書で、講談社がその昔刊行した「世界の名作図書館・全52巻」のうちの一冊です。
父の職場に来た書店さんから渡されたパンフで定期購入していたものです。
「三国志」「路傍の石」等の名作と呼ばれる文学だけでなく、神話から科学まで8つのジャンルに分けて刊行されていました。

舞台はアメリカ。著者のソーヤーの子供時代の経験んを元に書かれたようです。
ルシンダという名の少女が、転地療養で両親が不在の期間に経験した冒険譚というところ。

このルシンダが、十二夜祭に人形劇をやるんですが、その演目がシェイクスピアの「あらし」。
人形の衣裳や背景から手造りして上演するんですが、登場人物のアントニオに関して、「あまり重要ではなさそうだから、はぶこうかしら」と悩んでいるのも可笑しい。

聡明で快活な少女は、すっかり独り立ちした気分で自由を満喫するんですが、その中で、殺人事件被害者を目撃していしまうという子供には過酷な経験もあって、まだまだ大人の庇護が不可欠な年齢であることの教示もあります。

さて、これが雑誌を読んでいて「ふいに過った」作品なのかは定かではありませんが、挿絵の素晴らしさも味わえました。
かなり経年劣化が進んでいますが、詰め込んでいた押し入れをリフォームする際に、置き場がないので処分しよう(勤務中に電話が掛かってきたんですよ!)という親を(ウソでしょーやめてーと)制して取っておいてよかったと改めて思ったのでした・・・が、こんな寄り道ばかりしているので、モームの『人間の絆』が、ちーっとも進まないの



本・読書
by august22moon | 2016-08-19 20:30 | 読書 | Comments(0)

萩尾望都著 『ポーの一族 春の夢』

40年ぶりの続編が始まった『ポーの一族』を読むため、本当に久し振りにコミック雑誌を購入しました。こんなに分厚いのかこんなに活字大きかったかと、久し振りすぎて戸惑うこと多しでしたが、ザラザラした紙の感触は懐かしい。

舞台は1944年のウェールズ。テーマは、エドガーとアランが疎開してきた先で出会ったユダヤ系ドイツ人の苦悩。
34年にオービンがロンドンで遭遇して10年後。調査取材して回ってる頃。
旅行中のドン・マーシャルが列車内でふたりに遭遇する6年前。

この感想についてだいぶ悩んで整理する時間が必要でした。
正直なところここ2-3年、萩尾望都作品を読んでいませんでしたが、各作品の表紙絵を見る限り画風の変化は感じていませんでした。
本作に於いても女性の画を見る限りは違和感はありません。
しかし肝心の主役2人に著しい違和感がありました。
(高野文子氏の変化とはまた別の)
エドガーは、常に神経を研ぎ澄ませ警戒と注意を怠らない。人々が伝説を伝説として看過する時代になってさえも。セリフも極力少なく、アランに対してすら必要なことも黙っていたりする。
そうゆう人物画に必須なのは、読者にだけ心中を判読させる表情です。
傍観、注視、冷笑、哀れみ。萩尾氏の卓越した画力によって、その視線は常に雄弁でした。
しかし、今作にそれが感じられない画が多いのにまず驚きました。
画風の違いというよりも、表現全体に物足りなさを感じました。
計算しつくされた人物配置と動作、斬新なアングル、心象表現・・・卓越した画力がありました。
ファンタジーらしいデフォルメも効果的でしたのに。黒バックなんて、時代じゃないのかなぁ・・・今作では必要な場面も見当たらないけど

特に横顔が気になりました。
顎のラインを描く線が太くなりましたが、数コマを覗いて鋭角すぎるので顔が小さくなり、それが身体全体のバランスに影響している。
ブランカに年齢を尋ねられた後だけ、少年らしく頬がふっくらしたのも疑問です。
体格も、14歳の少年のそれではない。
特にブランカが窓の外に立っていたのに気付いて立ち上がった時に顕著。
確かに初期作品に比べて後期で既に体格は違います。しかしそれは表現力がさらに豊かになる過程と時代性を反映した画。少年らしい華奢な線は失われていなかった。

姿勢や態勢の堅さも随所に見られました。
貴族特有の優雅さ、気品、洗練、異形の者のただならぬ気配と透明感が全身に見られたのに。
登場コマと時計前のアランの姿勢もそう。アランについては、寝室と階下のようすを聞いている時以外の表情が随分とラフ。
ふたりが階段を上がる場面の態勢も、もうひとひねり出来たのでは。
ブランカがシューベルトを聞いて心を開放させ、思わず朗々と歌い上げる場面の、まるで舞台上のオペラ歌手のようなポーズは、唐突で芝居がかって見えました。寄り添うエドガーの姿も不自然。ミュージカルの1シーンみたい。

途中でマフラーの巻き方が変っている所も気になりました。同じページ上なのに。
馬車がオットマー邸へ着いた場面にはなぜかアランも居るんですね。
戻ってアランも誘ったということなのでしょうが、そつなく立ち回ることが出来るエドガーと違い、貴族のお坊ちゃんらしい気位の高さが抜けず、女の子以外、特に一般市民と関わりたがらないアランがなぜ来る気になったんでしょ?

技術的に熟練の域に入り久しい作家さんなのに。週刊や月刊誌連載ではないから時間は充分あるはずなのに、練り上げられた線に見えませんでした。
一分の隙もない繊細で的確な表現によって一人物を創りあげ、紙上を越えて生きていた。
あの蟲惑的な少年はいなかった、という印象です。

「ロンドンのゴミ捨て場」というのはなにかの比喩なんですかね?
大時計の登場は、のちの運命を考えると感慨深いものがあります。
そういえば、ウイッシュの館の暖炉の上にも時計がいくつも置いてありましたっけ。
ブランカたちの先祖に実は会っていたという流れになるのかな?
グレンスミスの子孫でドイツに渡ったエリザベスかその娘アンナと関係があるのかな?

戦時下のヨーロッパが舞台というのも面白い。既にロンドンで被災して屋敷も(どの屋敷なんでしょ?)失っている設定。激動の時代をどうすり抜けて来たのか興味がわきます。
ブランカやオットマー家の複雑な内情の回想場面の密度とテンポは真骨頂ともいえて、流石です。
彼女の抱える苦悩にも説得力がありました。
セリフも端的で詩的。そこから醸し出される世界観は変らぬものでした。
このキャラクターとこの時代でなければ描けないものが何であったのか。後編を見れば分かるかな?(次回発売が今冬ってのも随分と先ですね)

「わたしのことなぞ忘れたろうね」
「憶えてるよ 魔法使い」

夢の中でエドガーを悄然と見送る。読者をあの老いたオービンと同じ心境に陥らせるには最適の時期ではありますね。ほぼ同じ40年後だし。

by august22moon | 2016-06-06 23:00 | 読書 | Comments(0)

吉村昭著作 『高熱隧道』 新潮社刊

高熱隧道

吉村昭 / 新潮社



先日読んだ本にちらっと出てきて、だいぶ昔に途中脱落のままになっていたのを思い出しました。

映画『黒部の太陽』は、通称くろよんの黒部第四ダム建設の為の隧道掘削が舞台。
こちらはさらに下流の第三発電所建設のための軌道トンネルと水路トンネルの掘削におけるドラマです。
あちらは熊谷組の破砕帯の出水との格闘が描かれますが、こちらは佐藤組がモデル。温泉湧出地帯による摂氏160度台にまで上がった熱水との死闘が描かれます。
大型掘削機もない時代。資材ひとつ怪我人ひとり運ぶにしても人力。
何百人もの死傷者を出しても、国策事業であるがゆえに止めるわけにはいかない。
事故の連発に当初は警察から事情聴取も受けるんですが、そうのち被害者へ御下賜金が下附されるとなってはもう誰もこの死の代償をはらう工事を停められなくなってしまう。
昭和11年当時では国策というより軍事ですね。黒部の谷は地獄の戦場だったわけです。

工事の遅れを取り戻すのに越冬してまで挑んでいるために、数百年に1度しか起きないであろうといわれるほど稀な、泡(ほう)雪崩に2度も襲われるんですが、この雪崩のメカニズムが恐ろしい。ほぼ爆発。
専門家の判断を元に建てられたコンクリート5階建ての宿舎が一山越えて飛ばされ崖の岩棚に叩きつけられていたほど。
しかも2度目は地形的にも雪崩は起きていない。その証拠に樹齢300年余の巨木も背後にあったのに。木造であったために火災も起きて、遺体の判別がつかないほどの大惨事。

作業員はただただ高額の賃金のために耐え忍んでいる。
物語は作業指揮に当たる佐藤組の責任者の目を通して描かれるので、この過酷極まりない現場で人夫たちの声は聞こえてこない。
事故は自然の猛威によるものであるから、皆ただただ堪えている。これが痛切。

2度目の泡雪崩の後しばらく経って、ほとんど損傷のない遺体が発見される。
バラバラの遺体を行方不明の人数分揃えたはずだったのに!
この‘ひとり多い’遺体の処理について、作業員たちが自分たちの行く末を突き付けられたようにみるのは必定。
先の事故で、本人判別不能と受け取りを拒否したために保険金が支払われなかった事例から、炭化して誰なのかも分からない遺体の一部ですら引き取っている。いまさら誤認があったとはいえないので、仕方なくこの遺体を山中に遺棄する。
この無情な措置の後、佐藤組の技師たちは、作業員たちの目に初めて遺恨を見るんですね。

遂に水路トンネルも貫通しそうというところで、ダイナマイト紛失事件。
それまで反乱も事件もなかった現場に、ここで初めて戦慄が走る。
否、それまでにも偶然を装ってハンマーやノミが身体を掠めて落ちて来たこともあった。
トンネル貫通の歓びも束の間、人夫頭に「現場を離れたほうがいい」と進言され、立ち去ることにするんですが、坑口に向かうまでが衝撃的でした。
累々たる遺体や泣き叫ぶ遺族たちの姿が蘇り、背後から作業員たちが追ってきそうな恐怖の中を坑口へ逃げるように歩いて行く。
熱水や熱風の対策に奔走したり、ダイナマイト自然発火でばらばらになった遺体を黙って揃え繋ぎ合わせ遺族対面のためにと白布を巻く処置までし、自然発火対策に竹や氷を使うよう研究し、自ら灼熱の切端に進み出て安全性を訴えたりと、この地獄の戦場で共に戦った兵士なのに。
背後に迫る呪詛を感じながら逃げるように下山せざるをえないとは。

ただ賃金の為に闘い続ける人夫たちと違い、建設会社の技師たちは隧道貫通の先になにがあるんだろう。達成感だけなのか。完成した発電所やダムを見上げて何を思うんだろう。

事故で破損した遺体や熱水による作業員たちの熱傷など、目を背けたくなるような描写も、吉村氏独特の詳細ながらも冷静な視線で残酷さを煽ることなく描写されています。
そのフィルターを通しているからこそ、4年にも及ぶ死闘が尚一層迫ってくるようでした。

d0109373_17183362.jpg詳しい周辺地図が見たいなぁと思っていたところ、『つきさむ』さんにありましたー。ヤマケイの山岳地図。
くろよんダムから仙人谷ダムまでの距離や、地図上に残る「高熱隧道」やこの隧道建設のために開設された「旧日電歩道」など確認できました。
画像も検索してみましたが、「岸壁をコの字型に掘られただけ」なんて恐ろしい山道もありました。ここを数十キロの資材を運んで歩いたなんて信じられない幅員。
現在は登山ルートとなっているその断崖絶壁の道を歩いてらっしゃる方もいて、愕然。

この過酷な物語の感想に、ガトーショコラとコーヒーの画像というのも如何かと思いますが・・・
因みにブラジル。男子バレー行くぞリオ!みたいなね。きりりと美味しゅうございました


本・読書
by august22moon | 2016-05-25 23:00 | 読書 | Comments(0)

泉康子著 『いまだ下山せず!』 宝島社刊

いまだ下山せず! (宝島社文庫)

泉 康子 / 宝島社



d0109373_23153137.jpgカフェ『つきさむ』さんの本棚で知って図書館で借りて読んでみました。
94年刊行の初版ハードカバーだったので持ち歩けず、『つきさむ』さんで続きを読むこともありました。

86年12月28日に槍ヶ岳を目指した3名が最終予備日の1月4日になっても下山せず捜索されますが発見されず、3人が所属する登山会「のらくろ岳友会」の元・現メンバーや職場の山岳会メンバーなどが捜索し、6月27日・28日に2名発見。30日に残る1名を発見。

著者を始めメンバーがいかに仲間をみつけるために闘ったか、感銘を受けました。
メンバー各人が仕事の合間を縫って、目撃証言を募りルートを推理し、綿密に捜索計画を練り、何度も登り、遂に彼らの手で3人の仲間を「下山」させるのです。
捜索地点を絞り込むのがとにかく大変。
当日の12月30・31日は暴風雪が吹き荒れ、ほとんどのパーティーが小屋で停滞を余儀なくされ槍ヶ岳を諦めて下山しています。
「のらくろ」の3人以外にも遭難したパーティーもあったほどの悪天候。
年末に、槍ヶ岳を目指して出発地点の中房温泉を出発したパーティー17隊に、目撃情報を募る。
重要な証言が得られると直接会いに行く。
遭遇したからといって名乗らないこともあるので、それが当の3人か分からない。
装備品のメーカーや色の情報を添えても、記憶が曖昧だったりするので、3人がいったいどのルートで下山したかがなかなか分からない。

1月1日に常念小屋を出発し強風の常念岳中腹で、下山してくる3人と遭遇し、会話を交わした長崎県の登山者が現れます。
先頭の人は「昨晩はどこにお泊まりでしたか?」と問いかけてきて、普通に会話を交わしたけれど、15mも離れた次の人はちょっと会釈をしただけだが疲労が見えた。さらに30m離れて下ってきたひとは前の人のトレースを踏まずに迂回して進み顔を合わせず「ムッとした眼」で「近くですれ違うのを避けているよう」で、「精神的に険しいものを感じた」と。
「ぼくらは上まで行ってきましたが、風がひどくて引き返して来ました」という先頭の人の言葉で、初めて3人のパーティーだと気付くほどそれぞれが離れていた。
このようすで、彼らに何か重要な決断があったのではないか、常念から退却後に向かい風の厳しい大天井岳へは行かないだろうと、メンバーは推理するのです。
しかし、着ていたはずのヤッケの色は青なのに、「赤だった」と違うことから最後まで当の3人なのか疑問が残されます。

備忘録として、目撃情報。
28日 京都大学山歩会が、合戦小屋手前の樹林帯でエスパートメントを張っているパーティーを目撃。
29日 朝、日産栃木山岳部は朝に一ノ沢を下って下降。『岳人』12月号の「一ノ沢下降レポート」掲載記事を見て計画した。
昼近く、大阪市役所山岳部のメンバーが燕山荘を出発する3人を撮影。槍方面へ向かったか不明。常念登り、途中のテント場で目撃なし。
ブロッケン山の会・大天井岳手前のピーク(為衛門吊岩)近くの斜面に青いテント目撃。
30日 天気崩れ
31日 終日悪天候 西穂高で雪崩あり3件の遭難死亡事故と2件の行方不明。悪天候で槍を諦めるもの多く、京大山歩会・ブロッケン山の会のみ槍へ。常念にエスケープ6パーティー。朝、大阪市役所山岳会・小川パーティー暴風雪の中を大天井方向へ出発。
1日 長崎の大村勤労者山岳部の村山 常念中腹で下山してくる3人と遭遇し会話。
ヒュッテ西岳・避難小屋にもテントにも「のらくろ」らしいのは無し。
藤沢山岳会・夕方に常念小屋にテントも宿泊者も無し。
午前中・松本勤労者山岳会・東天井岳下りでの遭難者遺体確保。常念方向から目撃なし。
3日 大喰岳で東鎌尾根→槍から下山の3名目撃との情報


情報を精査し分析して推理していくと、やはり一ノ沢という雪渓を選んだ可能性が強くなってくる。
メンバーは当初、「雪崩が発生し易い冬の沢下りは危険」という常識から、そんなことはないだろうと考えていたところに、29日にこの一ノ沢を下って下山したというパーティーが出てくる。
彼らは山岳雑誌に掲載されていたレポートを参考に計画していて小屋の日誌にもこの計画を書きこんでいることから、これらを3人の誰かが読んでいた可能性もあると考え、先の会話を交わしたひとの目撃情報からも、疲労から強風を逃れることを優先したのかもと推察します。

2月14日になって、捜査会議の場に大阪市役所山岳部から連絡が入ります。「のらくろ」から送られてきた調査票の写真を見て燕山荘前で言葉を交わした人たちであると確信し、別のパーティーのメンバーが出発する3人を偶然写真に捉えていたと。表紙カバーの写真はその時のもので、歩き出している3人のその先に遠く槍が見えます。
これが遭難したメンバーの最後の姿となるわけですね。

4月はさらに底雪崩の危険がある。雪渓の雪解けを調査しながら、登山者が集中する5月連休後にローテーションを組んで捜索が継続され、6月27~30日の発見となるわけです。
調査登山には警察から無線も借りたり、準備が周到なことも驚かされます。

最初に発見されたメンバーのザックの中には元旦のために用意されたおせちの材料が手つかずで残され、テルモス内にはコーヒーがほぼ満杯に入っていた。
3人になにがあったのか、なぜ一ノ沢だったのかは、謎のまま。

目撃情報を募った際に、それぞれの「山の会」のひとたちは、捜索費用にとカンパを贈ってくれるんですね。
興味深かったのは、捜索に協力する遭難メンバーの職場である日産とHONDAの対応。
車両や食べ物の差し入れから家族の対応まで協力しあいます。協力合戦の様相。
HONDAは「長野県警もびっくりした」高性能ジェットヘリまで提供します。これは以前にも同様の事故があった時に本田宗一郎氏の指示で支援をした前例が在るそうで、そのことを日産側のある課長は「ルール化せず、社員の心の中に活かしている」と感心している。
しかし、帰ってこない社員に「給料」は当然支給されなくなるわけで。
社内規定によって、HONDAは12月、日産は1月で給与支給が打ち切られ、幼子を抱えた奥さんは生活のために働かなくてはならないという新たな現実が迫るわけです。
遺体が発見されるまで葬儀はしたくない遺族。
生きて帰って来る望みが絶たれたのなら区切りをつけたい遺族。
長期に渡る捜索費用の負担のことも考えると、辛いけれどどちらも無理からぬこと。

著者は「のらくろ岳友会」メンバー。発見までの道程だけでなく、雪崩の専門家とも会い、そのメカニズムの探求で締めくくられています。
3人が発見された時のようすから、それぞれがどのように流されたのかも分かってくる。
一ノ沢は底雪崩と表層雪崩が集中する場所であることが改めて判明し、著者はこのルートを紹介した『岳人』編集部に「常念一ノ沢は雪崩の巣だった」と現地レポの掲載を依頼しますが、編集長からは「一ノ沢レポートは読まずに載せた」「下った人があるのは事実」という返答で、レポの掲載はされず仕舞いだとか。
日々刻々と変わる状況下、危険をどう予測しどう決断するかの難しさを痛感しました。


メンバーが宿泊した槍までのルート上にある大天荘は、『つきさむ』オーナーさんが夏季期間中に勤められる山荘。
30年前の事故で勿論当事者はいないのですが、大天井岳頂上近くの大天荘は、槍ヶ岳に進むか常念岳に進むかの分岐点で、本作に登場するパーティーの多くが宿泊しています。
1日に松本勤労者山岳会・東天井岳下りでの遭難者2名のうち1名はビバーク後の朝に大天荘まで戻って救助されたりと、86年末の遭難事故を目の当たりにした小屋でもあるので、関係者としては読まずにはいられないでしょうね。
山好きの作家さんも宿泊されるそうで、どんなかたでした?と伺うと
「普通のひとでした」ですって(笑) それはなにより。

大天荘の冬期避難小屋(出入口の扉はどうなっているのか)や、稜線ルートのことなど伺い、よりリアルに読むことができました。

by august22moon | 2016-05-11 23:00 | 読書 | Comments(0)

横山秀夫著 『64 (ロクヨン)』 文春文庫版

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

横山 秀夫 / 文藝春秋


64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

横山 秀夫 / 文藝春秋



著者の作品は『クライマーズ・ハイ』以来。
先にドラマ版を見て結末が解っていても夢中になって読めました。

報復人事で刑事課から広報室へと異動させられた三上は、キャリアと記者との板挟み、警務課と刑事課の軋轢、家庭に於いては醜形障害を病んだ娘の家出と、苦悩だらけ。
刑事としての矜持を胸に、時に逡巡し躓き時に豪快に、組織の中で奮闘する個人の姿が実に丹念に描かれていました。
そんな中でも広報室の若きメンバーに三上が義の人であることが伝わり、この人のためにと一層結束していく姿は、清々しさがありました。

昭和64年に発生した誘拐殺人事件被害者の父である雨宮の執念がとにかく心を打ちます。
犯人には地の利が在るはずと、事件当時の県内中部・東部版電話帳全軒に電話をかけて、犯人の声を確認する気の遠くなるような作業に駆り立てたものは、ただただ無念を晴らすの一念。
警察からの指示の前に受話器を取ってしまったことで謝る。
偶然三上の家庭内での苦悩を知るところとなり、その苦悩にさりげなく寄りそう。
いかに実直に堅実に生きてきたひとであるかが響いてきました。
しかし、事件当日には視界にも入らなかったはずの美那子の顔を実は見ていて憶えてたのか、野次馬に混じった捜査協力者を一瞬で見抜いたのか、「会釈をした」というこの男の奥底に秘められた強靭さに戦慄。

物語の主軸は「ロクヨン」と称された時効目前の未決誘拐事件なんですが、別件の匿名報道で県警担当記者たちと広報が決裂してから、理解と承諾を得るまでの闘いがまた読み応えがありました。
部下の蔵前が調べた被害者・銘川のあまりにも孤独でささやかな人生。
無言の留守電に「いつになく嬉しそう」に呟いた「誰かなぁ。誰だろう」は痛切。
横山氏さすが元新聞記者だけあって、『クライマーズ・ハイ』の墜落現場報告同様、事実だけを記したはずのレポートで泣かせるのが巧い。頑なで強かな記者たちを動かすだけの力が在りました。
後に、時期的にも雨宮からの無言電話と推察されるのを「故郷から」と願ったのは、三上のせめてもの合掌のようでした。

自室に引き籠っている日吉にかけた三上の言葉もなんと柔らかい。
「そこはいったいどこなんだ」「どうやったら会える?行き方を教えてくれ」
同時に娘にも向けていたんでしょうね

無言電話が事件の鍵と捜査一課長・松岡参事官が気付くんですが、発端は三上の家に三度もあった無言電話で、娘を心配してくれる松岡の妻に、帰りたい気持ちはあるのだろうと話したこと。
その前に松岡の実家にもかかっていた無言電話は周辺にもかかり始め、それを松岡の刑事としての感が看過させなかったわけですね。
調べると明らかに中年男性が出るまで掛け直している。署内だけでも、松岡・三上・美雲・峰岸・村串と五十音順に掛かって来て、望月や森田以降にはない。その「最後尾」が「め」だとつきとめる。
ロクヨンを常に忘れず目を光らせ、目崎の異質さも見逃さなかった。刑事の眼力と直感がピースを揃えた。爽快感がありました。
それにしても、全てを捨てて告発を完遂した幸田はどうなるのか。救われるかな。
「陰の刑事部長」松岡が期待できそうだから大丈夫かな。

平常業務の日が訪れた広報室内で、蔵前がつぶやく「美雲と高倉健は嘘をつかないと思ってた」は傑作。
ようやく笑えましたわ。

さすがに年月をかけて練り直しただけのことはある。事件のスリル以上に、苦悩の中でいかに人は生き抜くかを描いて秀作でした。重厚感と疾走感、スパイスの効いた文脈を堪能しました。




NHKでドラマ化された作品も見応えがありました。
オープニングの、モノクロで荒涼と印象させる町や川沿いの風景。予告編をフラッシュで挿入させてそこに大友良英さんの昏い旋律を被せて、さらに緊迫の展開を予感させるエンディング。
原作では雨宮が非通知機能を知らず公衆電話を使ったとしてありましたが、事件当時の黒電話のままになっているんですよね。あの日と繋がっている電話機を替えたくなかったんですね。
掛けたばかりの「三上守之」の番号に出た声である三上義信の、その名刺を持つ右人差し指が、プッシュボタンを押した記憶が思わず甦ったように微かに動いたり、事件当時の電話帳の上にその名刺を置くというのも細かい。また、その電話帳の下に古新聞がきちんと縛って置いてある細かい演出。画面に密度がありました。
(掛け直す印しに△が書いてあるっていうのも細かい!)
キャスティングも総じて適役。
ピエール瀧さんが三上にぴったり。常に緊張を解かない背中で、いかにも地を這うように犯罪を追って来た武骨な刑事。「出直して、まいります」の声を詰まらせたところは素晴らしかった。
県警担当記者と本社記者との格差も表されて、永山絢斗さんの遣る瀬無い表情がこちらまで切ない。

段田安則さんの芝居自体が好きなこともありますが、圧倒されました。
思わず受話器を取ってしまったことを畳に頭をつけて平謝りに謝る姿。
特大のスーツケースを必死に引きずりながら、時に転がってしまうのを慌てて掴む狼狽。
警察の追尾を探るために取引場所を転々と移動させる手法は、既に映画やドラマで使われていますが(イーストウッドだっけ?)、悲壮感がどの作品よりも強く伝わりました。
膨大な数の電話番号を虱潰しに当たっていた執念の姿が強烈でした。
少し洟を啜りながら何気ない日常生活の一部のように始める。電話帳が邪魔で受話器が戻し難かったりする不器用な仕草。手慣れた単純作業のように坦々と鉛筆で名前に線を引いて消す。
娘の名前を必死に呼び掛ける三上の声に一瞬たじろいで、断ち切るように何回も線を引いて消す。
遂にその声に辿り着いた時の、思わず右耳を抑えて声に集中する仕草。公衆電話から転び出て言葉にならない叫びをあげてそのページを引き千切り、茫然と歩きだす背中。流石の名演でした。

全体に演出もカメラワークも凝っていて、当事者視点で臨場感を出し、安直なアングルにせず俳優の動きを活かす。
遥かに続くような長い階段。薄暗く冷気を感じる廊下。対岸の工場群の遠い灯り。
疾走感と静謐さの緩急がありました。

ピエール瀧さんが「誰も一発も銃を撃たない」ドラマの撮影裏話として、誘拐事件の捜査本部に乗りこんで4課っぽい屈強な刑事ふたりに取り押さえられる場面のことを話されていました。
演じたのがなんと元ラグビー日本代表の方で、相手が両腕で抱え踏ん張ったと分かった次の瞬間「今までに経験したことの無いクイックさで」引き倒されて衝撃もなかった。もがこうにもまったく動けなかった。世界で闘ってきたアスリートの凄さを「肌感覚で体験した」というお話しが可笑しかったです。



本・読書
by august22moon | 2016-04-05 23:00 | 読書 | Comments(0)

吉田修一著 『怒り』上下巻 中公文庫版

怒り(上) (中公文庫)

吉田 修一 / 中央公論新社


怒り(下) (中公文庫)

吉田 修一 / 中央公論新社



『64』のドラマが凄く面白かったので映画公開前に原作も読んでおこうかと行ったのになんとなく惹かれて読み始めました。
著者の作品を読むのは『パレード』に次いで二作目。
人気なのになぜ読まなかったか、読んでいて気付いきましたんですけどね
実景が脳内に浮かばず、心象描写も響いてこないからかも

実際に市川市で起きた事件がヒントとなって創作されたんですね。
逃亡犯・山神が3人の身元不明の男のうちの誰かであるという設定が面白かったです。
千葉県の田代哲也。東京の大西直人。沖縄県波照間島の田中信吾。
3人の男がふらりと現れて暮らす別々の土地でのお話しが交互に描かれるんですが、素性を明かそうとしないのが3人の共通点。それぞれに怪しい。
最初は時系列を判然とさせないし、途中で整形もしていて、後半で田代が手配写真に似ていると言われる場面もあるので、3人が同一人物かもしれないと読み取れます。
とても殺人を犯すようには見えない真面目な仕事ぶりや思い遣りのある心根のいいひとに、どんな二面性が隠されているのか。どんな経緯で狂気が表れてしまったのか。さまざまに推察される面白さがありました。

しかし本作は犯人を当てる推理が要点なのではなく、他人といかにどこまで信頼しあえるかにあるんですね。
なにか隠していて危険人物かもしれないけれど、眼前のぬくもりが確かならばそれで充分だと自分に言い聞かせてしまう。
中島みゆき氏の歌の文句じゃないけれど「許し合えばふたりは、なお分からなくなるみたいだ」。

素性不明で普通の社会生活は送れない現代においては、犯罪がらみと疑われるのは必定。
それぞれの男と出会うひとびとは、一旦は受け入れるけれど、近しくなればなるほど疑念が持ち上がる。
信頼したいのになぜ疑わせるのか、信頼したいならなぜ疑ってしまうのかと葛藤する。
疑惑は晴らせてやり直せることになりそうな愛子と田代は救いがあったけれど。
儚い関係性ではあったけれど取り返しのつかないことになってしまった、優馬と直人の結末は哀れ。
テーマ的に必要とはいえ、北見と美佳の結末は・・・まあこれはあり得ないので仕方がない。なんちゅうファンタジーですやろ。

手配写真がTVで紹介され始め、優馬・洋平と愛子・泉らが、それを知る辺りは緊張感が高まって面白かったです。
見ていない背後のTV画面に映っているその顔は果たして‘彼’なのか。子供の屈託の無い「似てる」の声。
犯人の特徴である顔のホクロや左利きが共通していることが徐々に示されていくのも、
アリバイや背景の判明で犯人が絞られていくのも、スリルがありました。
トランクを投げつけた後の言い訳の、取って付けた感が絶妙。
(純朴な少年は騙せてもオバサンは騙されないわよ)
同一人物なら面白いと期待してたのでちょっと残念でしたけど。

辰哉は壁に書かれた黒マジックの呪わしき言葉だけは、泉のために石で削るか土で擦るなどして消したかと思ったけれど、マジックじゃ消せないか。
突然暴れ出すよりも、文字によって二面性を表されたのは衝撃的でした。
殺人の動機は、子供時代から抑圧され続け鬱積した感情の暴発。
ムルソーじゃないけれど、ひとの心の奥底には不透明で不可解なものがあると、もはや推察するしかない結末にしたのは、物語のテーマゆえでしょうか。
無念を残す残酷な終わり方は読後感としても好みですが。
形のないものの輪郭を懸命になぞろうとするひとたちの苦悩は、もう少し突き刺さるものが欲しいと思いながら読んでいました。
時間が経つと充分だったような気もしてくるんですけどね。

映画化が決定しているそうで、支える妻役しか印象のない宮崎あおいさんが愛子役なのは意外。
設定が変更されることもあるから、どんな愛子になるか分かりませんが。
田代役に松山ケンイチさん、直人役が綾野剛さん、優馬役が妻夫木聡さん。
それぞれ適役ですが、田中役が森山未來さんという配役には期待!
松山さんが冷血な殺人犯を演じても意外性があって面白そうですけどね。
直人と田中は似せられるかもだけど、田代と田中は・・・似るかしら


本・読書
by august22moon | 2016-03-25 23:23 | 読書 | Comments(0)

阿川弘之著 『鱸とおこぜ』 講談社刊

サアカスの馬・童謡 (21世紀版・少年少女日本文学館18)

安岡 章太郎 / 講談社


中学の国語の教科書で印象に残っている作品で、題名も著者も解らなかったけれど発見したよシリーズ。これで全て解決編です。
「カルガンの星」「見たことがありますか」は詳細が判明しましたが、最後に残った1作品の著者名・題名が遂に判明しました。

職場の忘年会で、国語の教科書に載っていた小説の話になりまして。
そのことを話しましたら当然若い人たちからは総スカンをくらいましたが、最近その小説を読んだひとから、「アレのことじゃないかな」とあっさり正解を得られました。
8月に亡くなったことで阿川作品を改めて読んでいたらしいのです。
戦記物や「やえもん」でもない阿川作品だったとは意外な気がしたんですが、どうも掲載されていたのはこの作品の一部、釣り客側のことを書いた部分だけだったように思います。
七万年来の因果応報だの甲状腺機能云々などまず読んだ記憶がないですし。
大概の作品は短編といえども教科書には全編掲載されないことがありますからね。
検索したところ、地元図書館には児童書の「21世紀版 少年少女日本文学館」シリーズのみ。
しかしこの検索で、あちこちのブログの数年前の記事でこの作品が登場し、折に触れて思い出される文章として挙げてらっしゃる方が多いことが分かりました。著名作家の作品ならでは。

絨毯の上をトコトコ歩き回ったり何も無いところで唐突に転んだり、「ほんいっぱいねー」「ぱんまーん(多分アンパンマンの意)」の間をぬって借りてきました。
児童書扱いですから、こまめに意味が記載されていたりイラスト入りで解説があったり。

お話しはディズニーよろしく、魚たちを擬人化したもので、主役は鱸。
おこぜは医者。途中と最後に出てくるクラゲはお坊さんで念仏を唱えています。念仏水母。
この鱸が体調が優れずそのことでずっとぼやいていて、渋々医者に相談するもなんとも怪しいアドバイスをされる。
鱸は一徹な性格と設定してあり、だいたい医者に頼ることも不愉快で素直に受け取らず、納得しないながらも医者の言葉通りにしてみるんですが、この鱸がまるで阿川氏自身のようです。
氏の体験談からの創作なんじゃないかと思えるのです。
阿川氏といえば軍人気質を残した気難しそうな印象があり、対談番組で北杜夫氏のヌーボーとした可笑しみを遠藤周作氏のように笑い飛ばすこともなく、鼻でふんと反応するだけだったり。
娘・佐和子氏がひとり暮らしをしようと、家を出たいと打ち明けた時、「結婚かっ!」と途端に不機嫌になり、結婚ではありませんと言えば「同棲かっ!」と取りつくしまもなく怒ったエピソードをユーモラスに紹介されたのも読んだことがあります。

第一この鱸の自覚症状、魚でありながら「胃が痛んで、頭は重かった」そのため「やたらに気分がくしゃくしゃとするのだ」と、どうやらストレス性なのがまず可笑しい。
で、海老が主食という日頃の食生活を省みて「もっとビタミンCを摂らなくては駄目だぞ」と自己分析。
厭々ながらも海藻を食べ始まったところを釣り客によって釣られてしまい、生け簀で先に釣られていたおこぜに向って腹立ち紛れに食ってかかるのですが、おこぜはこれが運命と達観していて馬耳東風なのでありました。
さて。問題の部分ですが。
鱸やオコゼが住まう、瀬戸内海に釣り船を出した男たちを描写した中にありました。
釣り船が浮かぶ穏やかな昼の瀬戸内の描写です。

「島は眠っている。海も、苫船も眠っている。縫島の突鼻の崖に咲いた鬼百合も眠っている。
松の上で舞っているとんびも、半分眠っているにちがいない。知らない人は行って御覧なさい。
内海の午さがりは、どう考えてみても森羅万象が午睡をしている。」

風景描写はぼんやりとしか記憶がないのですが、印象に残っていたのはこの最後の一言でした。
森羅万象という言葉も確かここで初めて知って、その意味の大きさと漢字の妙や響きも印象的だったのです。
遍く一切の時が停まった‘すべて世はこともなし’な風景を想像して、授業は上の空だったかもしれません。
家に帰って母に、こうゆう大きな表現があったことの驚きを話したものでした。
母はそんな私を微笑んでみていましたが、心のどこかで森羅万象知らんかったのかと呆れていたかもしれません。

この瀬戸内の描写の中に、飛行機が数機、急降下を繰り返していて、そのあとに爆発音がするという文があります。
「朝鮮帰りの飛行機が、あすこで、使わなんだ爆弾を始末して行く」と船頭が説明しています。
「小さな黒い飛行機」としか書かれていませんが、朝鮮戦争時に日本から出撃した米軍機ということでしょう。
今作の発表が1952年(昭和27年)ですから、朝鮮特需で潤っていた時代の話だったんですね。
長閑な昼下がりの向こうの時代描写を差し挟むところはいかにも阿川作品らしいと感じました。

他には安岡章太郎や吉行淳之介などが収録されており、久し振りに安岡作品も堪能。
「童謡」という作品も、国語ではなく道徳かなにかの教科書に掲載されていたと思うのですが、私はこれが勝手に太宰作品だと長らく勘違いしていました。
長患いでやせ細ってしまった少年が、リハビリにと散歩をしているんですが、まだ本調子でないためによろけてしまう。よろけた瞬間に視界の端に見覚えのある少女が見えて、「全部見られたな、とおもった」という場面を記憶していたのです。
そこに、まだ少年なのに男としてのプライドが既に芽生えているようすが、漠然と太宰のようだと思ってしまったのです。
授業で先生から、少年のようすを説明した部分を挙げよと言われ、数人で該当する文章を答えたのですが、「尻の肉も全部削げ落ちて、肛門が長い管のように突出してしまった」という部分だけが残ったのでした。
それは、読みあげるのに抵抗があったのが私だけではなかった故でしょう。
しかしほどなくひとりの女子が手を挙げて、事も無げにその文章を読み上げたのでした。
文学作品を前にへんに考え過ぎたことが反って恥ずかしいような心持ちになったことも思い出しました。

やれやれ。一昨日の夕飯も思い出せないのに、昔のことはよく憶えてますこと。


本・読書
by august22moon | 2015-12-29 21:00 | 読書 | Comments(0)

マーク・ハッドン著 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』 早川書房刊

夜中に犬に起こった奇妙な事件

マーク ハッドン / 早川書房



トニー賞授賞式の中継を見ていて知った作品です。
その記憶も醒めない頃に、『雑貨とカフェ ロバギター』さんで開催された古本市でげっと。
日本でも上演され、観客の尋常ではない咳の多さに出演者の方が疑問を投げかけたのはこの舞台だったと後になって思い出しました。

アスペルガー症候群の15歳3ヶ月の少年クリストファーが主人公で、この少年の一人称で語られます。
映画『ものすごくうるさくて、ありえないほどちかい』では同じ症状を持つ主人公の少年は11歳。
まだ子供と言っていい年齢ですが、15歳では既に体格が大人に差しかかっている。
だからこそ、ミセス・シアーズの犬が殺されていたのをみつけて抱きかかえていただけで容疑者扱いされ、パニックを起こして警官を殴れば公務執行妨害とされてしまう。
見た目では分からないから、アスペルガー症候群なのだと近親者から説明されないと分からない。
クリストファーは養護学校で適切な教育と指導を受けられているけれど、両親が彼に対して、いまだに向き合い切れてない。
もう葛藤も焦燥も一段落して折り合いをつけられてもいい頃と思い込んでしまうけれど。
(『ものすごくうるさくて~』の11歳のオスカー少年の両親は、彼の秀でた部分を伸ばそうとしている。)
そうそう強い親ばかりではないのだ。
人混みでパニックになり、床にあおむけになって泣き叫んだり、身体に触れただけでパニックになり、理路整然と説明し、質問や提案の意味と意図するところを明確に提示しなくてはならない時間が、延々続くことに耐えられなくなる時もあるのだ。
それは決して責められないことなのだけれど。

近所の犬が殺されたという事件から、両親それぞれが抱える闇という「奇妙な事件」に遭遇することになってしまった少年。
世の中にどれほど、おとなの世界にはいかに矛盾や理不尽や説明のつかない情動があるのか、少し出会えた旅。
よくぞ警官の目を逃れ大都会ロンドンを通過して目的地に辿り着きましたね。大冒険。

ミルクバーって千歳飴みたいなこと?
ラズベリー・ミルクセーキなんてあるんだー
久し振りの海外現代小説で、イギリスのポピュラーなお菓子が登場して楽しめました。
あたしったらバッテンバーグケーキすらも知らなかったんですもの。

新書版の表紙カバーに書かれた赤い車の意味するものも他愛ないといってしまえばそれまでですが。
新しい犬のゴールデンレトリバーもその「砂のようなうす茶色の」毛色のままサンディだし。
色が与える印象は大切なのね。

気にかかるのは、父親の犯行理由が痴情のもつれにしては、随分と殺し方が残虐すぎるということ。
息子が父親に恐怖し逃げ出すために必要な設定だとしても。
この作品自体が児童文学(ガーディアン賞も受賞)というカテゴリーで発表されているのに。
クリストファーは、父の涙の告白と謝罪と贈り物で恐怖が薄れたのかな?
それともほんとうに許すことができたのかな?

彼には科学者になるという人生設計があって、それが実現可能であることを、彼に降り掛かった問題を行動によって解決したことで確認した。
今はそれで充分なのかな。
そうして気付かないうちに成長も遂げた、ということなんでしょう。痛みを伴って。
正解もなく、ファジーで、耳を塞いでも聞こえてくる雑音に満ちて、「奇妙な」ものが、世界には存在することを受け止めることが、いつの日かできるのかもしれない。


本・読書
by august22moon | 2015-09-06 00:14 | 読書 | Comments(0)


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