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ローランド・エメリッヒ監督作『インデペンデンスデイ:リサージェンス』

d0109373_18301750.jpg前作が面白かったので期待があったんですが、なんか、途中で飽きてきちゃった・・・

前作は、ジェフ・ゴールドプラムの父親との問題や現大統領とのちょっと笑えるしがらみとか、大統領夫人のがんばりとか、人間ドラマに面白いエピソードが満載で楽しめました。
型破りなパイロットのウィル・スミスが宇宙人をグーパンチでのしちゃったり、「おまえ、臭いんだよっ」なんて文句いいながら基地まで引きずって行くなんてのが可笑しかった。
大統領が「エリア51は存在しまして」なんて国防長官に打ち明けられて呆気にとられるとなんて、傑作な場面でした。

しかしこの続編では、そうゆう人間らしいエピソードが、ことごとく弱くて印象に残るものがない。
だから、闘いに挑む勇壮さもイマイチ迫ってこない。
前作の大統領演説を続編の予告に使うのは、いいアイデアだと感心したんですが、さわりとはいえ今作中に2度も流すのは多い。むしろ無くてよかった。
ホイットモアに覚悟を語らせ、周囲に居合わせた戦闘機パイロットたちが居住まいを正して士気が高まる、というのもしつこく感じてしまいました。
それをなぜ、現在の女性大統領にやらせないのか。カリスマ性の問題か。

20年経って、やはりその宇宙船や戦闘機のデザインの緻密さユニークさは目を見張るものがあるんですが、エイリアンの技術を応用(借用?)していることからして、人類が(ってアメリカだけですが)一丸となって地球を守るっていうカタルシスが無い。
剣を扱う部族の長がエイリアンを剣で倒すんですが、こうゆう闘い方も入れてはいるんですけどね。
折角入手した新技術だから利用するのは理解できるんです。それにしては月面基地は一蹴されちゃって・・・

俳優の風貌が役柄に合っていたのが、アメリカのプロパガンダムービーらしさを引き起こしていたんですよね。ロバート・ロッジアの将軍とかアダム・ボールドウィンの少佐とか。
ケネディに似せた風貌の大統領とか。
女性大統領にしたのが結果的にタイムリーになりましたが、それらしく見えませんでした。
(つくづくグレンクローズは巧かったなぁと思います。大統領との友情まで匂わせて)
ウイリアム・フィクナーも、将軍にも大統領にも見えないし。
中国人出すのはもう構わないんですが、中国語捲し立てる設定ってのは必要なのかしら
そんなに意識しなくちゃならない市場でしょうかね・・・
研究スタッフの中にフランス人をひとり配するというのも、私は『未知との遭遇』のトリュフォー(通訳連れてほとんどフランス語で押し通すっていうのも気質を表して面白かった)から知りましたが、独特の空気感の違いが出ます。


娯楽作品と割りきって見ましたが、
この前見た別の映画では、コーラを飲むのも忘れて見入っていたなぁなんてことを思い出す始末。



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by august22moon | 2016-07-15 23:00 | 映画 | Comments(0)

トム・フーパー監督作 『リリーのすべて』

d0109373_1723439.jpgこの作品も3ヶ月遅れでようやく先週から地元公開が始まりました。

予告編で『ファンタスティックビースト~』。
古き佳きイギリスの風景がこれほど似合う若手俳優さんはいませんが、そのうちコパーフィールドとがドリアングレイなんかも演じちゃうんじゃないでしょうかね
ゲルダを演じるアリシア・ディカンダー(ディキャンベルって読み方のほうがいいな)はスウェーデン出身なんですね。アカデミー賞でのドレスは「ベル」みたいと称賛されていましたが、あれ、スウェーデンのナショナルカラーって意味ですよね?とEURO16見ててようやく気付きました次第です。


玩具箱のように同じ小さな窓が並ぶカラフルな外壁の建物。運河沿いの市場。整然とした可愛らしいコペンハーゲンの町並みに対して、アイナーとゲルダが住むアパート室内は、まだ若く裕福ではない夫婦の部屋としても殺風景でしたが、その分、変化してゆくふたりの姿が映えました。窓からの光りもやさしい。
衣裳合わせするダンサーをチュチュ越しに撮った画の美しいこと。

画家であることがゲルダという女性にとって大きな意味があるわけですね。
彼女の持つ画力が、無意識に夫の隠された部分までも描きだしてしまった。目の肥えた美術愛好家にはそれが感じとれてしまったんですね。モデルとなった女性の奥底にある何かを。
彼女の能力が、図らずも「リリー」もよって目覚めさせられた。それを彼女自身も少なからず驚きを持って知ることになるこれは、リベラリズムってことなんでしょうかね
苦しんでいる夫をこれ以上傷つけたくない。しかしこのまま進めば、自分は捨てられるのと同じ。浮気されるほうがまだましだわねぇこれじゃ。
開放されるや大胆になっていき、「リリー」として活き活きと外出されたりすると、利己的に見えてしまうんですよね。ただ、そのところをアイナー自身も分かっているのか、公園で冷やかされ殴られた後に向うのは妻の元ではなく、友人ハンスのところなんですね。
この夫婦にとっての救いが、この理解ある友人たちがいたことですね。つかず離れず支えてくれている。どれだけ救われることか。

手術を受けるために出発する駅の場面は、ゲルダにとっては夫との今生の別れ。
アイナーにとっては希望への旅立ちでも、妻にとっては、こんなに残酷な別れはないわけだし。
ゲルダの辛さが胸に迫りました。
列車の中で嬉しさを隠そうとしないのを見せられるとね、やっぱり身勝手に見えてしまうんですよね。
2回目の手術まで間を置かなくちゃいけないのに、生き急ぐように直ぐに2回目の手術受けるなんて言うし。その為に薬の用法容量守らないし。ったく

ゲルダは、支援するパートナーというより、母親のように見えてきました。

1回目の手術を乗り越えた後、デパートの香水売り場で働く「リリー」。
パリに住んでいたことを活かしなさいと上司に言われ、はにかんで俯くところが巧い。
「パリではパヒュームは身体につけません。空中に吹いて・・・潜ります」
・・・これは、お客さん買っちゃうね
この場面、香水瓶越しの画も美しい
遂に「Danish girl」になれて、女性同僚たちと談笑しながら退社するさまも、なんと幸せそうであることか。

簡単に整理のできない問題に悩み惑い続けるアリシア・ディカンダーが巧かった。
繊細なガラス細工のようなエディ・レッドメインに比べて、自ら人生を切り開いていこうとする逞しさが感じられました。

いつか夫から渡されたスカーフが風に飛ばされたのを掴もうとするハンスを停めて
「このまま飛ばさせてあげて」。
この時のアリシアの、感情が溢れ出た表情が素晴らしい。
ようやく彼は自由になれたのだという涙の中に、夫婦のままでいたかったという涙は混じっていなかったのかな

フィヨルドの上を舞う絹のスカーフは一瞬、かもめのように見えました。



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by august22moon | 2016-06-24 23:00 | 映画 | Comments(0)

堤幸彦監督作 『天空の蜂』 wowow放映

d0109373_15103495.jpg公開時に躊躇しているうちに見逃した作品です。
犯人の「痛みを伴わない想像力は、ただの甘い夢にすぎない。想像してみるがいい、ダイナマイトはいつも10本とは限らないことを」という予言は、20年前は想像すらしなかった現在に突き付けられると、単なるエンタテインメントと受け取らせないちからがありました
しかもその声明文が公にされずに葬られるというのも、「安全神話」という言葉が過ります。
CG技術に関して批判も多いようですが、邦画としてはあれ以上求めるのは酷だとね、思うんです。作り手側が見せたかったのはそこだけではないでしょうし。

三島の背景ですが、どうして親より先に消防のレスキューが到着していないんでしょう。学校側が警察沙汰を躊躇して通報が遅かったということかな?
まるで昼休み終わったんだから早く教室へ戻りなさーいみたいな教師の口調にはゾツとしました。あれが意図的演出だとしたら、なんともおぞましい。
三島が「新陽」の屋根で墜落するビッグBを両手を広げて向える想像の画を、息子を受け止めようとしたその瞬間と繋げたのは、彼の慟哭と絶望が見える、印象的なシーンとなっていました。

共犯者・雑賀も被爆しているという設定なんですかね?犯行以前に既に心身ともにぎりぎりの焦燥感があって、彼にとってはもう死に様しかないんですね。アパートから逃亡し車に飛び込むまでがよかったです。こうゆう刹那的な役が似合いますね。

刑事たちの地道な捜査のようすが丁寧に描かれています。聞き込みに回り、名簿の名前をひとつづつ当たり、そこにベテラン刑事の感が働くってところは、巨大ヘリや原発の近代的な描写と対照的。
アジトまで迫ったところで自衛隊の捜査員に阻まれるけれど、犯人確保に刑事の執念を見せるあたりも物語に奥行きが出ました。

共犯となってしまう三島の恋人の赤嶺淳子も悲劇的。
利用されているだけかもしれないとと気付いていても離れられなかった。汗を拭くことも乱れた髪を直す余裕も失せた陰鬱な表情。使われない航空チケット。乱暴に切った髪。哀しすぎる・・・

クライマックスの、自衛隊ヘリに2名も自衛隊員が同乗しているのに、コントローラーを向けるのがエンジニアである必要性は?訓練された空曹ならスキッドに立ってもっと身を乗り出すことも出来たでしょうに。
これも主役氏の見せ場を作るため?
主要登場人物が皆さん安定の演技であったのに、肝心の湯原に関する全てが浅く嘘っぽい。この俳優さんは体格も風貌も主役の華はあるけれど、臨場感が湧かないんですよね。
公開時に見るのを躊躇ったのはこのためですが、今回見て、やはりという印象です。


映画
by august22moon | 2016-06-23 23:00 | 映画 | Comments(2)

ジョディ・フォスター監督作 『マネーモンスター』

d0109373_16434914.jpgちょっと疲れちゃって居眠りしちゃわないか心配だったんですが、スリリングでテンポもよく、面白かったです。

J・フォスター、もう映画監督4作目なんですね。
ジョージ・クルーニーが財テク番組司会者で、番組冒頭ではおねーさんたち従えて踊ったり、「さあ、リングに上がれ」なんてボクサースタイルで煽るクレイジーさは、まるで「ウルフオブ~」のようですが、軽薄なノリでエンタメ化させても、彼が演じると嫌らしさを感じない。スタッフも困惑するようなアドリブ満載っていうのも彼の洒脱さに似合ってる気がします。
電話で「アイアコッカだ」とふざけて応えていたので、ゲイツってだけでも人をくったようなのに、合成したんですね。

株で大損した青年カイルがねぇ、もう気の毒で気の毒で。妻に説得されるどころか罵倒されて人格否定までされて、愕然とするところなんて哀れで。
確かに遺産を使い果たしただけでなく、一生掛かっても返済しきれない巨額の借金を抱え込んでは逆上も仕方ないですけどね。
演じるジャック・オコンネルって多分初めて見たんですが、とてもよかったです。
根は普通の好青年って感じなので、尚更ラストが悲痛。
アメリカじゃ、撃たれちゃうか・・・

生放送中のスタジオに銃と爆弾を持った男が乱入して生放送どうなる!?ってだけでなく、ディレクターのパティがスタッフに情報を収集させて、個人が8億ドルもの損失出したのが「アルゴリズムのバグ」が原因ではなく、アイビスキャピタルのCEOキャンビーの画策によるものであることが判明していくまでがスリリングで面白かったです。
道路封鎖のロケも敢行してダイナミックな見応えも出ました。

パティは、イヤホン通して犯人を刺激しないようにリーにアドバイスし、カメラアングルを指揮して、生放送のアクシデントを乗り切る。
J・ロバーツは、さほど抜け目ないやり手な雰囲気は出してなかったですが、この前代未聞の事態に、視聴率と反響が念頭になかったとは言い切れない。

スタジオカメラマンも、爆弾の危険の中を最後までカメラを離さない。リーと同じようにどこまでカイルに同情的になっていたかは判らないんですが、居たたまれない様子で外へ出るけれどカメラは現場の床に置いていく。しかもONのまま。このカメラマンを追っているのが珍しい。
ぐったりと座りこんだところに、なぜ危険を顧みず映し続けることが出来たのかとインタビューされる。
ただ夢中だったと応えているけれど、報道する側がよく答えるこの使命感の裏には常に、最前線の優越と恍惚が見え隠れする。

声高に問題提起することも、はたまた情緒的になることもなく、無情にばさっとエンディング。
緊迫の実況に半分面白がってTVを見ていた視聴者も、その後に何をするでもなく、ただ茫然としているだけ。リアリティーショーを見ているような感覚だったんでしょうか
「来週の番組、どうする?」なんてパティの言葉は、元凶が自分たちでなかった安堵が感じられました。
それに応えるリーの笑顔には、複雑な心境も思惑も見えませんでした。

広報だか秘書だかのカトリーナ・バルフが美しいですこと。白いコートなびかせて颯爽。



d0109373_21443142.jpgこれはいつかのモカ。喫茶『リマ』さんにて。
アラビアのアネモネのカップにしてくれないか毎回期待しているのですが、出てこない(笑)
この時はロイヤルコペンハーゲンのトランクェーバー
軽快なドラムのジャズが流れて落ち着いた雰囲気の中、美味しくいただきました。
ごちそうさまでした。

外に出ると小雨がパラつき始めていました。バス停に着くと、ベンチに小学生の姿がありました。
俯いてゲームをしているコに「傘、忘れちゃった?」と声をかけながら半分差しかけました。知らないひとに話しかけられてもスルーと親御さんの言いつけを守ってか、ゲーム進展に夢中だったか、俯いたまま。
ベンチは既に濡れていたので、バスが来るまでの数分間傍らに立っていました。










d0109373_14332716.jpgつまり、こんな状況。


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by august22moon | 2016-06-17 23:01 | 映画 | Comments(0)

瀬々敬久監督作 『64 ロクヨン 後編』

d0109373_15593419.jpg観客の期待するものがなんであれ、原作を越えた作品を創ろうとしたがるのは仕方のないことだとは思うんです。これはこれでアリだと迎えられる場合もあるし。
当初はラストが違うという情報だったので、確かに原作のラストは隠蔽の告発を含めた事件解決に向けて動き出したところで終わっているので、描く余地がありますしね。
しかし監督がインタビューで、「映画は主人公や登場人物の行動を追って見せるものだから、最後も主人公自らも行動させたかった」と発言しているのを読んで、ちょっと厭な予感はしたんですよね。

見てびっくり。ラストどころじゃないじゃん!まさかここまで勝手な行動をさせるとは。
あれでは逸脱行為。広報官が容疑者を誘き出し、直接対決って・・・ハリーキャラハンじゃないんだから。
これでは単に俳優の見せ場を作るためだけの変更に過ぎない。

唯一信頼している松岡が、犯人を昭和64年へ引きずり戻って宣言してるのに、なぜ待てない?
結果的に二渡に恩を売る結果になるのは三上には不本意のはず。報復人事も誤解ってことにするの?
・・・もう、「そんなことをしたらメチャクチャになります」、だわ。
秋川を河原まで追って来させたのも同様。
後編での秋川の見せ場は、記者会見場で彼なりのやり方で三上ら広報室に協力しようとするところなんですが、それだけじゃ勿体ないと思ったか。
幸田はショッピングセンターのトイレで電話してませんでした?なぜ車内じゃないことにしたの?

日吉が泣きながら部屋から出てきた時。母親に謝るだけで、前編の「きみのせいじゃない」のその先の、彼を14年の重荷から解放させた言葉が無い。
日吉にかける数々の言葉は、三上が日吉の向こう側に娘を見ていた言葉だったのに。
記者会見で二課長が捜査本部から情報を小出しにしか提供されず何十回も往復させられる場面は短縮すべきと思っていたのでそこはよかったんですが、何十回往復してるのか示してないので、美雲の心配も倒れて救急車と騒ぐのも大袈裟に見えてしまいませんかね。
いかにも頼りない感じは、流石に柄本さん巧いから面白かったですけど。
目崎に初めて会った時の松岡の表情もそう。ハンカチバサッはまあいいけど
捜査車両の追跡もなんだか短い気がしちゃった。凄い緊迫感出せる、それこそ映画的な息詰まる場面なのに。

殺された娘と同じ年の目崎の次女の誘拐を企ててもやり切れなかったという場面を作って、雨宮の葛藤を見せているところはいいと思いました。
復讐の一念で生きてきたとはいえ、実行は容易なことではなかったろうし。
そこで、幸田が動いたことや、誘拐しないで脅迫することにした理由が成立しました。
しかし、その後の次女の一連の行動は余計。

緒形直人さんは温和な役柄が多いところ、珍しい役柄で堪能しました。
思わず近道に入ってしまった後とか、メモを読んで被害者から真犯人へと豹変する表情は素晴らしい。
なぜあんなことが出来たのか自分でも判らない。犯行場面では追い詰められた男の異様さが見事。
渡辺真起子さん演じる目崎の妻の、警察への警戒感を感じる目つきが、通報の遅れた理由を表して巧い。身代金誘拐も妻の発案かもなんて背景も浮かびました。
外車ディーラー時代の裕福な暮らしぶりを横顔に残しているのもこの一家に深みが出ました。

綾野剛演じる諏訪が三上からの電話を受けて、移動します待ってくださいとさり気なく会見場を歩きだし、まだ廊下に出ないうちに急にダッシュして「どうぞ」と応えるのには、焦りや憤りが出ていました。
抑えた芝居を要求される地味な役どころでも光るのは、さすが。

永瀬さんは、侘しさと奥底に一念を燃やし続ける男の役ですが、その疲弊した表情は見事でした。「あなたは大丈夫ですか?」も、美那子に微かにする会釈もよかった。
でも、あのスタイリッシュさは滲みでちゃうもんですねぇ。居住まいもちょっとした動作も洗練されてる。

まるで火葬のようなどんど焼きの場面は、雨宮ひとりのほうがいいのに。
誰も彼を救うことなど出来ないんだから。
そうすればそれこそ「慟哭」なのに。
無念、無情、寂寥。そうゆうものだけで満たされた人間ドラマを見せてもいいと思うんです。生きるとは時にそうゆうものだから。
重厚感と緊迫感あるドラマなのに、ちょっと惜しいな、という印象でした。


土日はかなり混んでいたそうなので平日にしたのにチケットカウンターが長蛇の列でびっくり。
今作もかなりお客さんが入って(端っこの席しか空いてなかった・涙)いたのですが、図鑑行列もあったようです。



映画
by august22moon | 2016-06-14 23:00 | 映画 | Comments(0)

トム・マッカーシー監督作『スポットライト 世紀のスクープ』

d0109373_15572518.jpgようやく先週末から上映(こんなんばっかです)
待ちくたびれた観客で場内盛況で、最前列しか空いて無くて首が痛くなっちゃった。
こうゆうセリフ一語も見落としたくない作品は吹替版のほうがじっくり演技を堪能できますね。
字幕版しかないんで仕方ないですけど。

舞台は01年。この頃はまだ、紙媒体の資料を閲覧しに出掛けて行き、取材に奔走するところなど、『大統領の陰謀』の頃と基本的には変っていないですね。
お役所仕事に振り回され、ようやく閲覧すると既に手を回され廃棄されていたり。発見しても「コピー室は4時で終了」。
古いデータは、地下倉庫に保管された資料や以前の掲載記事の切り抜きなどを探さなくてはならない。
関係者への取材には録音ではなく、その場でメモしていく。
このメモ帳がですねぇ、スポットライト編集部が皆、A5サイズ位の縦型リングノートなんですね。
ウッド・スタインコンビは掌に収まるくらいのミニサイズでしたが、やはり縦型のリングメモ。
書き続け易いからなんでしょうね。
この、発言の全て書き漏らすまいとペンを動かし続け、しかも取材対象者の表情も見逃すまいとしてる。
この動作を見ているだけでも緊迫感が感じられました。

新任の局長バロン(リーブ・シュライバー)がいかにも、なんらしがらみもないという風貌。リーブ・シュライバーだとみんな同じになりそうなところ巧く造形されていました。ジャーナリストらしい中立性と、どんな小さな変化も見逃さない視線を持つ人物らしい。
スポットライトのメンバーもコントラストがよかった。常にあうんの呼吸で仕事しあっている雰囲気がその部屋にはありました。

被害件数と加害者神父の多さ、教会側にあまりにも都合のいい隠蔽同等の保護体制、弁護士の忠告どおりの妨害工作に、チームは愕然としていくんですが、リーダーであるロビー(マイケル・キートン)は、強大な敵に対して詰めの甘さがあってはならない失敗は許されないと、真の調査報道を冷静に考えている。
このあたりも、先走った特ダネ記事でフーバーを終身長官にしてしまったブラッドリー主幹の慎重さを彷彿とさせます。
と、見終わってから『大統領の陰謀』が過っていたんですが、後でロビーの上司に当たる部長のベンという人物のフルネーム確認したらなんと、ベン・ブラッドリー・jr なんですねぇ。あの主幹の息子。ああ、びっくり。
当初ロビーにこの取材を止めるよう忠告をしてくるし、レゼンデスの自宅へ取材の進捗状況を探りに来たりする。彼こそ既に10年前に告発があったにも関わらずロビーに小さな事件としてしか扱わせなかった人物。

で、早く掲載しなくては被害者が増えるばかりとレゼンデス(マーク・ラファロ)はさすがに抗議するんですが、これぐらいに抑えているところが良かった。
他のメンバーにしても、自宅の近所に教会の施設があることを知り、自分の子供たちにも危険が迫るかもしれないと不安に苛まれる記者もいれば、被害者たちの傷の深さを目の当たりにして、自らの教会への信頼との板挟みで悩む記者もいる。
しかしその苦悩や怒りを抑えて、忍びこむピアノの旋律が熱を冷ましていくようでした。

掲載もクリスマスは避けて年始にするんですが、スポットライトチームはどんな思いで聖夜を過ごしたのだろうと考えると暗澹たる気持ちになりました。

冒頭で、事件発覚後直ちに釈放され、まるで誤認逮捕のごとく平然と出て行く神父を警官が見送る場面があり、事件の闇の深さをさらりと静かに見せています。愕然とさせるイントロダクションです。
記事発表後も、教会側の反応は出さず、スポットライト編集部に、被害者からの電話が鳴り止まない中、マイケル・キートン演じるロビーがデスクの受話器を取って落ち着いた声で「This is SPOTLIGHT」と応えて幕。
カメラは俳優のアップに寄らず引きの映像で、劇的に終わらせない。
しかしその声は、宣言のように響きました。

全編、世界を震撼させるスクープを発表するまでの、記者たちの奮闘を、無闇に煽ったり、声高に提示することなく、抑制をきかせ、しかし真正面から見据えている。オスカーも納得の気骨ある作品でした。



映画
by august22moon | 2016-06-09 23:00 | 映画 | Comments(0)

永井聡監督作 『世界から猫が消えたなら』

d0109373_112539.jpg撮影が始まったと聞いて早2年。なんでこんなに時間が掛かるのかと思いましたが、VFXシーンが多いからなんですかね。
原作の書名が映画的だなぁと思っていたんですが、原作の川村元気氏は映画プロデューサーだったんですね。映画好きの友人と、映画の名セリフのやりとりなんてちょっと楽しい。
「考えるな、感じろ」はもれなく出てきますねぇ。喋り方も特徴的でしたしね。フィ~~~ル
間違い電話で「あれ?今『メトロポリタン』見てます?」も面白い。

奥田瑛二さん演じる武骨な職人肌の父親。登場場面の少ない中にも流石の巧さが光りました。
父が撮ったピンボケの写真。嗚咽しながら手も震えて撮った1枚。そこに父親の全てが凝縮されているのは感動的でした。
出産の時も臨終の時も、妻が大切にしていたのであろう懐中時計を修理し続ける男。
妻の時間を進め続けようとしていたかのようです。
最後の「ありがとう」の声のトーンは、まだ若く新米パパらしい。その声の余韻が素晴らしかった。
直後の暗転に流れるテーマ曲も雰囲気に合ってました。

映画好きな友人役の濱田岳さんも、とぼけた可笑しみのある役どころが合ってました。
毎日DVDを渡し続けて、突然「忘れた」の表情もいい。どうしても思いつかなかったのかもしれない。
人生の最後に見せる映画なんてないと店の床にDVDを撒き散らす場面や、最後の日にどう向き合っていいか分からず、ただ涙することしかできない表情は絶品。
残されるものの辛さが感じられました。

余命幾許もない母に、楽しい人生だったのかと「僕」が悔やむ場面。
映画でもドラマでもよく目にする母子場面ですが、佐藤さんの泣き方が男の子らしくて自然でやり過ぎない感じでよかった。
自らも突然、末期と診断され、「シャンプーまとめ買いしたばかりなのに」なんて考えるのは、意外と現実的かもしれませんね。19-20歳の青年にとっては特に。

回想シーンと現在の妄想シーンを交互に出しているので、珍しいお話しに見えますが、ストーリーは平凡。
妄想で起こる事態が画期的な映像であるくらいですかね。
原作はどうなのかあらすじを調べてみましたが、こちらは最後の日へ向けて主人公はさまざまな事をしているんですね。その辺りがほとんど描かれない。

アルゼンチンの場面が設けられていますが、これがちょっと説明不足で唐突。
服装や内装が全体に暗いトーンなので、ブエノスアイレスの明るいカラフルな町並みが対照的です。
それにしてもなぜアルゼンチンへ行ったのか。ふたりとも映画好きだから『ブエノスアイレス』の舞台となった街を見たかったんですかね。それにしては舞台となった橋を教えられてる。
世界中を放浪する生命力溢れる男と出会い、別れた直後にあっけなく交通事故で亡くなってしまう。
幾たびも危険をくぐり抜けてきたであろう人間の生命が、いとも簡単に奪われてしまう残酷を表したかったのでしょうか。
宮崎あおいさん演じる女性はこの無情に抗うように「生きてやる」と叫ぶ。
感動的な場面ではありますが、彼女の死生観がいまひとつ掴めない。
第一、なぜイグアスの滝なのか。大自然の前では、人間なんてちっぽけなものだということ、かな?
ひとにとってひとの生命は、なにより重く大きいものであると、彼女はぶつけたのかもしれません。

主人公は学生で、郵便配達はバイト。郵便配達人であることが彼のストーリーになにか関係があるのかと思いましたが、まったくそうゆうこともなく。

キャベツごと買わなくても、空き箱を貰えなかったのかな?
しかもあんなにたくさんの大玉キャベツが入る箱かなぁ・・・まぁ、不器用さは出ていますが。


もし明日、自分や愛しいひとが消えても世界は変らず動いていく。
たとえ悪魔と契約しても、生命に代えられるものはない。
大切なかけがえのない思い出たちで人生は彩られている。
人生は、「生まれてくれてありがとう」と感謝で迎えられて始まり、生んでくれて「ありがとう」と感謝を返して終わる。

そんなことを、若い魂は知るのですね。


映画
by august22moon | 2016-06-03 23:23 | 映画 | Comments(0)

レニー・エイブラハムソン監督作 『ルーム』

d0109373_196552.jpgカナダの制作会社の作品だったんですね。
ようやくの地元公開で場内盛況。予想以上に心に残る作品でした。
「The Room」ではなく四角で囲って記号のようにしたのが、この部屋の持つ意味を表しているようです。

被害者にとって、犯人が逮捕されて終わりなのではなく、それから更に長く辛い再生のための生活が始まるのだという観点で作られた作品です。
監禁生活と救出されてからの生活の、描き方のバランスがとてもよかった。

それにしてもあまりにあっさりと、犯人がジャックの死を受け入れたのは意外でした。よかったけど。
利発な子とはいえ、動かないでいられるか、HELPと書いたメモを通りかかった人に渡せるか。緊迫の場面。
初めて見る広く大きい空を愕然と見上げるショットは、ほんとうに印象的です。
トラックの荷台からのジャック目線のカメラワークがよかった。
動体視力が未発達だから走り去る風景も人も捉えられない。
(そんなに荷台から乗り出したらミラーに映っちゃうって!)
母親と犯人以外の人間と接触したことのないジャックが思うように動けないのがもどかしいのですが、この場面は手持ちカメラなのか、ジャックや通行人の目線で撮られ、緊迫感がありました。
せっかく荷台から降りられて通行人に助けを求めたくても、初めて見る他人に近づけない。
(ヘルプが言えない!)
しかしこの通行人の機転が救い。ただ事ではないと察して声をかける勇気のある人だった。しかもジャックが差し出したメモにも気付いた。「その紙はなんだ!?」
(よくメモを差し出せた!えらいぞジャック!)
警察が来るまで、かけてくれたコートの下で縮こまっているジャック。
初めての雨に濡れながら、目の前にはママが教えてくれた「木から落ちた葉っぱ」。あの天窓に貼りついていたのとは形の違う「落ち葉」。それが初めて触れる「ほんものの世界」。

救いとなる人が多く登場するのもこの作品の特徴。そこがとてもいいと思いました。
世界は広くて恐いこともあるし悪いおとなもいるけれど、それ以上に世界は美しく喜びに満ちて、温かく優しい人も多いんだよと、この子供に示しているようでした。

ひとまず署へと言う相棒を制して、子供から少しずつ情報を導き出して、(しかもジャックの記憶力が正確!)監禁場所の地域を特定し直ちに急行させた女性警官。(お手柄!昇進間違いない!)
どれくらい経った頃か、普段通りに声をかけてくれる隣人。
その息子なのか、遊んであげるように言われてなのか、アラン君も遊びに誘ってくれて。
(ボール蹴ったらシューズが飛んでっちゃうのも可愛い)
退院してきた母親に抱きつくその後ろで、ボール持って小首傾げて見ているアラン君をピントぼかしてフレーム内に入れてる演出も細かい。
母親の再婚相手のレオ(トム・マッカムス)も素晴らしい。レオ、いいひとで良かった。
子供の扱いにも慣れている。ジョイと母親の諍いにも口は出さない。
多分、犬が切っ掛けで誘拐されたジョイのために他所へ預けたであろう愛犬も、興味がありそうと知るやこうゆう犬を飼っていると先に情報を与えておいて、頃合いを見計らって連れてきて、「飼ってくれる?」。
なんていいひとなのー

子供は吸収が早く柔軟だと言った医師の言葉どおり、見る側も驚くほどの変化と成長。
階段もスムースに降りられず、狭い空間やクローゼットの中に居たがり、他人とコミュニケーションがとれなかった子が、表情もすっかり明るくなって走り回り、お隣りさんに「ばぁばとパンケーキ作るのー」と大声で言えるようになる。ここはちょっとびっくり。
遂には、おばあちゃんに感謝を込めて「アイラブユー」と言えるまでになったのにはさらにびっくり。
この言葉の、なんと大きいことか。心打たれる感動。
カメラも廊下からの引きで撮って、扉のわくが額縁のよう。名場面でした。

ジョイの自室の壁に、若き日のディカプリオのポスターが貼ってあるんですね。レオのファンだったからジャックと名付けたのかな?

ジョイを演じるブリー・ラーソンも、絶望と子供の成長による安らぎの間で揺れ動く心情が見える、オスカー納得の見事な演技。
父親である犯人に子供の誕生日は教えない。ケーキに気付いて後日買って来たプレゼントに苦々しい思いを隠せない。「犯人は父親ではない。私だけの子供」と母やインタビュアーに答える。子供に罪は無いと心に刻みつけるまでの長く遥かな時間をいかに苦しんだか。
この最も難しい部分を、ラーソンは全身に沁み込ませて表現して説得力をもたせていたと思います。

ジョイは「部屋」の中で、子供が心身ともに健全に暮らせるように細心の注意を払い続けるんですが、それは彼女にとって外の世界をさらに遠いものにしている。きっと何度も脱出を試みたであろう天窓を、呪わしく見上げる疲れ切った表情が巧い。
洗脳もされなければストックホルム症候群にも侵されなかった。恐怖と屈辱の日々の中で必死に自我を支えて闘い抜いた。それなのに、心無い言葉に傷つけられ、子供とは逆に、奪われた日々を取り戻すどころか、あの「部屋」に囚われ、追われ続ける。
そんな母親に向けてジャックは、念が籠っているからと切らせなかった髪を切って、お守りがわりにと贈る。
早く帰ってきてと駄々をこねていた子が、母をその苦しみから救おうとする。
帰りたがっていたあの「部屋」へ、行こうと望む。
彼にとっては生まれ育った場所。習慣だった部屋中のものへの朝の挨拶を、別れの挨拶に変えてなぞっていき、母親にバイバイしてと促す。
(卵の殻は破壊しないと外の世界へは出られない。『デミアン』のように)
ちゃんと男の子に育ってる。
きっとこの先、父親のことを考える日が来ても、彼なら乗り越えていけるだろうと思わせました。

ラストシーンで、この納屋を後にする母子の上に雪が降ってくるんですが、予算不足で人工雪を使えず諦めていたところ、本当に雪が降って来たのだとか。
「誰かが開けてくれるのをドアの前で待つ」ことをせず、自らドアを開け、取り戻すために闘うすべてのひとびとへ、贈られているようでした。


映画
by august22moon | 2016-05-27 23:00 | 映画 | Comments(0)

ガス・ヴァン・サント監督作 『追憶の森』

d0109373_12222593.jpgカンヌでの低評価やアメリカでの公開未定という情報から、いったいどうゆうところが問題なんだろうかと、先に感想を読みました。しかしこれがまた様々で、余計にどんな作品なのか予想がつかないまま見ました。

冒頭から、M・マコノフィーの虚ろな表情がアップにされますが、作品中、どアップが非常に多い。シルエット気味になってもどアップ。
バニシングポイントを見つめる遠い目で、虚ろに透き通った男の佇まいが抜群に巧くて惹き込まれました。
空港を東京の喧騒を茫然と歩く姿勢、向い席の乗客にもただならぬようすが分かる、ぬけがらの姿。
場所を決めて森の木々を見渡して、満足気に小さく頷く。
このマコノフィーの演技を見ているだけで満足できる作品でした。

新幹線の車窓から見える富士山が、ぼんやりとそこに在るのかも判然とさせないのは良かったと思いました。

渡辺謙さんの役どころについては、徐々に判明していく形なんですが、マコノフィー演じるアーサーは最後まで気付かない。
外国人同士という距離がそれを気付き難くしているんですね。
妻の名前が「キイロ」なんて言われても、そんな名前なんてキラキラネームでも存在しな・・・するか?
(だからオムレツ選んだの?)
タクミの発言はそれ以外にも悉く正体を示す伏線となっているのに、霊魂や煉獄を説いても「私は科学者だ」と一蹴するし、妻と子供の名前を教える時の表情は完全に意図を持っているんですがアーサー見てないし。
時には「ヘンデルとグレーテル」のヘンデルをハンサムと発音ミスのほうに気を取られさせている。
妻がタクミの姿を借りてアーサーに接しているのに、妻とはかけ離れた風貌の男にして、正体をぼやかしているんですね。
謙さん、日本人としては体格いいほうだし。華奢な男とか女性にしないんですね。ガス・ヴァン・サントだから?

アーサーは既に薬も飲んでいるのに、他者に邪魔されるのを避けて移動しないどころが声をかける。
ついさっき通って来た道が閉ざされていて愕然とする。望んでいたことなのに。
森から出ようとする過程で、寒さを避けるため他の自殺者の服を脱がせたり焚き火をする。
夜の寒さ。洞窟に流される。崖からの落下。チャンスはいくらでもあったのに。とりあえずこの男を脱出させようとではなく、もう生きることしか考えてない。
亡き妻が彼を、生へと導いて救っていたということなんですね。あなたは病室のベッドで死なないでとは言ったけど、ここじゃないし今じゃないし!とね。
また、彼の中にも生への未練がまだ残っていたのかもしれない。
その変化が自然に受け止められて、そこはマコノフィーの巧さなんでしょうね。矛盾には映らない。
テントに映るタクミのシルエットを、一瞬妻に見えてもいいのではと思ったんですが、ずっとタクミでしたよね?

日本人として見ると、様々「日本じゃない」感が必ず出てリズムを狂わせられるのですが。
ハイキングの服装でもない男が樹海の入り口らしき、鳥居のある駐車場前でタクシーを降りた時点で、運転手さんが通報しないのかな?バスは使えなかったか
遠景はロケされたようですが、タクシーの後部ドアが自動開閉でないので、もう日本じゃないと気付いちゃう。
ケン・ワタナベの助言も振り切ったのか、レンジャーの監視塔?に風鈴なんて下げてたのも見落としませんよぉ日本人はぁ

自殺に相応しい場所としてネット検索してすぐに青木ヶ原の樹海が出る。
日本人には名所として刷り込まれていますが、日本との関わりもないアメリカ人が、なぜそこに惹かれ選んだのか。そこがいまひとつ説明不足。その海原のような原生林の画像に惹きつけられたところは、その演技の巧さで理解できました。
でもそれだけでは、ずいぶんと短絡的決断に映ってしまいます。
肝心の切っ掛けをもう少し描いてもよかったのではないでしょうか。

樹海の中は携帯の電波もけっこう届くそうですし、コンパスも使えるそうです。
深部に入ると、昼なお暗い原生林というのがよく知られています。溶岩の上の森なので木の根が盛り上がっているし、倒木や折れ枝が多く、そこに苔がいたるところに生えている。
広大な森ですから、国道沿いや自然歩道周辺のように明るい場所もありますが、霊魂の漂う怪しさが削がれてしまったことは事実です。
しかし、誠実な演技がそれらを越えている部分は、確かにありました。

成仏するとそこに花が咲くって、漱石の「夢十夜」のようで、その表現は美しさが在りました。
可愛らしい蘭のような花も、安堵の頬笑みをもって迎えられそうではあります。



映画
by august22moon | 2016-05-20 23:51 | 映画 | Comments(0)

佐藤信介監督作 『アイ アム ア ヒーロー』

d0109373_2259020.jpg97年位から『どうでしょう』を見ている、多少「藩士」な私には、おーいずみさんが主役を演じるだけでまだまだ感慨深いものがありますわ。

漫画雑誌編集者役で高橋洋さん登場。ふたりの洋さんついに共演です。
ブログで高橋洋さんがこの共演について言及されていますが、おーいずみさんのことを、「いつも自然体」で、「役と自分」の「境目のようなものがなさすぎて感心してしまった」と。
ほんと、どんな役でも後部座席で愚痴ってた頃のままなのだー。

原作は未読ですが、顔立ちを似せるために眉毛太く書いてるのね。
夢の実現のために何も出来ずにくすぶっていて甲斐性もない。彼女に「それは夢じゃなくて妄想」と罵倒されて返す言葉もない。図星だから。
「世界がひっくり返っても」ふがいないままの男が、どう立ち上がりどう闘うかというお話し。
最後の陸上部員は3発だっけ?とすると地下通路に来たゾンビは93人?弾が足りてよかったよかった。
なぜこの男が散弾銃所持するほどクレー射撃が趣味となったのか、どれくらいの使用歴があるのかの説明があったほうが良かったんじゃないでしょうかね。銃の扱いに慣れていることがご都合主義的にならないように。・・・原作にはあるのかな?
今だ射撃場で1発も撃ったことないのか、クレーの最中だけが強い男でいられ腕前はいいのか。
それになぜ職場に戻ったのかも、説明が欲しい。警戒はしてるけど。

奇態描写や黒い血の色を見て、何かに似てるなぁどこかで見たなぁと思いながら見ていました。
エンドロールで監督の名前を見て(忘れてた)、ああ、『GANTZ』か!と気付きました次第です。
あの星人たちの描写と似てますね。ラスボス的不死身の陸上部員なんて特に。
アップになるゾンビの造形がそれぞれ違って、瞳だけでなく、皮膚までも凝ってますこと。ウイルス感染だからなの?従来のゾンビのようにシンプルメイクじゃない。撃たれた時の頭部の破壊されかたも細かい。これはマニア受けするでしょうね。

気弱な部分を残して「どいて下さい!」「どいてー!」はよかったな。命令口調にならないところが。
叫ばず、小田の持つトランシーバーから声が聴こえるのもよかった。
終わってみるとバンデミックホラーばかり記憶に残るんですが、そんな中でも笑わせどころがあるのは珍しいですね。
ゾンビ目の前にして、「ひろみちゃん、出番」と小声で起こすのと、ロレックスは笑えたー
高橋洋さんがおべっかで売れっ子作家のロレックスを褒めたのを憶えてたわけだね。それが命を救ったのだけれども、取りすぎよー

守ると立ち上がった瞬間はふたりにとってのヒーローとなったけれど、殺し終わってみればそれは雄姿ではなく、カタルシスもない。ラストマン・スタンディングはただ殺人者の姿。
だから後部座席であの表情。

半覚醒のレプリカントみたいな制服姿の女子高生が森の中で座ってるという画はシュールだけど、生々しくないこの女優さんがやると可愛らしい風景。
アイドル女優の枠に入るひとですが、よくいえば安定感があると言うか、わるくいえば初々しさがないと言うか危うい魅力がないというか。毎朝のように見ていたせいで見慣れてしまったってことかしら。
長澤まさみさんは、闇を抱えている雰囲気が巧く出ていて、大人のかっこいい女風。
複雑な過去を持っていそうな看護師さんて、それだけでドラマ性があります。
喫煙場面があるのは珍しいですが、一段落してほっとしたところを表すには最適の小道具。臆せず使っていいのでは?

・・・とりあえず弾丸の補充しないと、だね。


予告編で、なんか尻尾がやたら長い『シン・ゴジラ』。
悔しさ押し殺しているかのような横顔の、高橋一生さんがちらっと見えました


映画
by august22moon | 2016-05-19 23:00 | 映画 | Comments(0)