2011年 05月 24日
スペース桐朋 オープンキャンパス 朗読&トーク 21日
ステージ・クリエイト専攻学生有志企画
『横田栄司 朗読&トーク』を聴講するため、初めて仙川という町に来ました。
駅舎から出入りする人たちで賑やかでしたが、バス停やタクシープールのあるロータリーも正面大通りもなく、多分車両進入禁止の細い路地が駅舎と並行に伸びています。駅舎の左手から伸びた広い通りに少し車の往来がある程度。
きれいなショップが並ぶこの通りを歩いていくと、右手に公園がありました。窪地になっていて遊具で子供たちが遊んでいます。その向こうはクイーンズ伊勢丹。町に見守られた公園です。
その辺りの雰囲気がなんとも不思議で、見渡してみると、周囲には3階建て以上の高いビルが少ないのでした。ですから初夏の日差しが全ての歩道に降り注いで、湿気っぽい影のない街になっていました。
突き当たりが甲州街道でそこを右折すれば桐朋学園なんですが、真っ直ぐな道を歩いていると無性に曲がりたくなる性格と占いにあった通り、この可愛い箱庭のような街をもっと巡ってみたくなりました。
細い路地が縦横に続いて、どこも人で溢れて賑やか。折しも土曜日。折しも昼食時。折しも下校時。買い物客ばかりか、桐朋学園の白いシャツが眩しい高校生たちが街に溢れています。
どの路地も代官山や原宿のようなおしゃれなショップもありますが、それだけでなく生活に即した商店が立ち並んでいます。
屋根もないので、雨の日は傘がぶつかって少し厄介かもしれません。
強い日差しを受けながら、ゴミひとつ落ちてない箱庭の街をぐるぐる巡って楽しみました。
桐朋学園は木立に囲まれていて、商店街の眩しさから一転してひんやりと美しい緑に目が落ち着きます。
訪れる機会ももうないかもしれないので校門辺りも見学。
すぐ近くにある会場を確かめてから、スタバで涼みました。
【関係を強くする経験量】
入り口にはもう入場の列。学生さんばかりではないようで安心。
学生さんがパンフをひとりひとりに手渡しています。
靴を脱いで棚に置いて入りましたが、眩しい外を歩きすぎたか明かりを既に落としてある室内の足元がまったく見えないので摺り足で段差がないか探りながら入ると、スタッフの方が居てペンライトで足元を照らしてくれました。
入って左手が暗幕に囲まれた15-20センチほどの高さのステージ。中央に丸テーブルと椅子に既にスポットライトが当たっていました。
右手がクッション付きベンチ型の客席。
既にほぼ満席。70人位入るのかな?記録用に撮影もしていました。
アナウンスで朗読作品の井上ひさし「握手」が紹介がされ、舞台下手の暗幕を分けて横田さん登場。
冷房の音が少し弱められました。
朗読が終わって、越光照文学長との対談が始まりました。
お二方ともマイクを持っての対談でしたが学長の言葉で所々聞きとれないところもありました。
学長から今回の企画の説明。「横田くんの舞台を見たステージクリエイトのオガタくんが声をかけたので実現した」そうです。
横田さん「丁寧な手紙を貰って。」
学長が、朗読でつっかえ(?)なかったね、と。学生に読ませると必ず何回か間違えるのだとか。
学長から改めて横田さんの出演舞台などの紹介もされました。調べたら(芸術科演劇専攻)27期生。同期で現在も活動している人は?
「 2-3人?」
文学座は3年間の研修。劇団での同期で現在も活動している人は?
「(劇団に)残ってるのが5人ですね。」
学長は、文学座は入所倍率も高く研修所にはいっても劇団員に全員なれるわけではないと話し、度々厳しい世界であることを強調されました。
現在活躍している役者さんも挙げられました。「徹とか」
横田さん「渡辺徹(のこと)ですね。」
学長「あと江守とか」
文学座は主にどんな稽古を?
「ひたすらセリフ読みです。まず20冊くらい台本を渡されて。」
過去の上演作品?「そうです。」
上下関係の厳しさがあるかという問い掛けには「そんなに厳しい感じはないですね。厳しい先輩はいない。」
3年目で文学座の俳優らしくなる。舞台成果を出しても残れない。舞台出演の数でしかギャラも出ない。
入ってからの活動は?
「最初の年は春にソーントン(ワイルダー)の『わが町』、秋に小山内薫の『女の一生』、3月に卒業公演をします。」
「2年目はほっとかれるんですよ。2回(舞台に)呼ばれたくらい。」
「ラジオドラマのガヤとか。(客席に向けて)ガヤって分かります?後ろにいて(と説明)・・・みんなアルバイトしてました。」
学長は、劇団に入ったからといって役が貰えるわけではないと。
また、今回も照明や音声など裏方として頑張ってくれているひとたちのおかげでこの舞台が出来ているのだと説明。
一番大きな出会い、切っ掛けは?
「研修3年の頃、同期の松本実がニナガワカンパニーにいて、蜷川さんの前でピンターの『ダムウェイター』をやるので一緒にと誘われて。40分の芝居をやって、蜷川さんになんでこんなのに付き合ってなくちゃならないんだと怒られて。これが26-7才の頃。この蜷川さんとの出会いが大きかった。」
「映画『カンゾー先生』に出るのに痩せてこいと言われ、その頃90キロくらいあったので。
当時の根津というマネージャーに、痩せたのでご褒美に仕事をくれといったら、蜷川さんが真田広之さんの『ハムレット』のレアティーズのオーディションをしているからとりあえずセリフ入れておけと言われて。
あの時すごく怒られたけど、痩せてシャープ(な顔)で行ったから分からないだろうと思ったら、蜷川さんに俺お前知ってるな、と。なんで俺お前のこと知ってるんだ?と。1年半経ってるのに憶えてて。で、その場でじゃおまえ、と決まった。」
出会った人たちとの関係の中で、積極的に選択する。やらなければ安全が保たれる。
冒険だけど、やったほうが次に繋がると、学長。
蜷川さんはどんな演出を?
「蜷川さんには、他者がいかに遠いか。繋がる、伝えるを、貪欲にするよう叩き込まれた。
いかに遠いか。」
卒業公演でケンカしましたよね。に横田さん「ん~?」
横田くんなんか今おとなの対応だったが、三宅という学生が居て、主人公を演じるのに、ダメ出ししたら出て行った。三宅!(思わずドキッとする厳しい表情で顎で呼んだ仕草を)と呼んだら僕の教授室の鉄扉を小道具の杖でがんがん叩いてる。戻ってきて殴るのかと思ったら杖を自分の脛でまっぷたつに折ったという事があった。
「芝居をやるとねちっこい関係になるんですよね。」
表層的では出来ない。
人は集まれば集まるほど軋轢が起こる。ぶつかりあった中でより高次の(作品が生まれる?肝心なここ聞き取れませんでした)
「構えてても踏み込んでくる。自分を守りたいのに。でも開放できるようになってくる。」
影響を受けた人はいるかという話しになりましたが、特には挙げられませんでした。
「越光さん(こう仰ったと思います。)には今だにビビります。単位ぎりぎりだったし。」
横田くんは、素直なところがあった。逃げずに立ち向かうところがあった。
演劇学校の15単位くらいの授業が余裕で取れなくてはと学生には常に言っている。
量をこなすと見えてくる。自分との関係が強くなる。
経験、量質転化なくしては、と。
学長の学生に向けた言葉には、演劇を志す者でなくても通じる教訓が在りました。
先生の話、もっと聴きたい。
時間も無くなってきたので質問を。
Q 演劇を続けるか迷ったことは?
A 常に悩んでいる。若い時のほうが悩んでなくて。
自分は入学が2年遅かった。西武で家具売ってた。
覚悟を持って入ったし、文学座の時も腹括って。若いころは真っ直ぐだった。
セリフがなくてクサッたり・・・30(歳)くらいまでアルバイトしてたし。
その頃は悩んだ。
Q それでも続けようと思ったのはなぜですか?
A 好きだっていうのがあったんですよね。
飽きっぽい男なのに・・・お芝居以外続いたものがないんで。
辛いことが9割だけど演技が楽しいし、
仲間と楽屋で話すのが楽しかったり。(ここで先生大いに頷く)
麻薬みたいってみなさんよく言うけど、楽しいから辞められない。
ネガティブなことは言いたくない。辞められないっていうのが一番近い。
この質問をされたお二人はそれぞれ学生さん。
二問だけという短いものでしたが、同じ道を歩んでいる先輩と歩み始めた後輩との真摯な眼差しが行き交うのが感じられ、他者が入り込む余地のない緊迫感を伴った質疑応答でした。
15時10分。授業のように予定通りに終了。
駅西側に着くと、京王線は切り通しを通っているのがわかりました。
これも独特の街並みが出来た一因でしょうか。
文章も写真も本当にステキですね。
横田さん愛もいっぱい感じられて♪
…突然失礼しました!
初めまして、、、といっても実は時々おじゃまさせていただいてました。
またおじゃまします、よろしくお願いします。
ファン相手とはまた違った雰囲気があって貴重な経験が出来ました。
私もdo-an様のブログ拝見してます。
こちらこそどうぞよろしくお願い致します。