2011年 10月 10日
R・ワイアット監督作 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』
現代のサンフランシスコ。
高い知能を持つ猿のシーザーは人類に裏切られ、自分の仲間である猿を率い、自由のために人類との戦いに向けて立ち上がることに。
人類のごう慢さが、猿の知能を発達させてしまう要因となり、人類にとって最大の危機を巻き起こしていく。
20世紀フォックスのファンファーレを久し振りに聞きました。
第一作を新解釈でリメイクした、ティム・バートン監督作『PLANET OF THE APES』とは違って、新しい「猿の惑星」化への歴史を描く作品です。
コーネリアとかシーザーという名前を残したところはオリジナル版へのオマージュでしょうか。
上映時間の関係で吹き替え版を見ましたが、やはり字幕版で見るべきでした。
シリーズ中で最初に人間に反乱を起した伝説の猿が最初に喋った言葉は「NO」であると語る場面がありました。
初めてTVでみた時は(勿論日本語で)、「だめだ」だったんですね。
そこに絶望的なものを含んで聞こえたんですが、それは拒絶のNOであって、今まで人間に言われ続けていた言葉を返して、人間との共生を拒絶したAPESの蜂起の第一歩という意味。
そのあたりを描いた作品なので、シーザーの第一声は日本語の「やめろ」ではなく英語で「NO」を聞いておくべきだったですね。
エモーションキャプチャーの開発で赤ちゃんから子供時代のシーザーの表情があまりに豊かで、成長後も知能が高いというより人格が形成されてゆき感情表現が豊かになっているので喋れないのが不思議なほど。
そこまで表現しなくてもカメラワークとか目だけで今まで充分伝わって来ていたのに。
ロディー・マクドウォールとかティム・ロスによる目の演技で、充分でしたもの。
観客に預ける部分、ってところですね。それがあっても良かったんじゃないでしょうか。
発展・進歩が邪魔に見えることもあるって感じたことに驚きもありました。
決意してからのシーザーはリーダーに相応しく逞しくなっていきます。
路面電車の屋根に先頭に立っているところなんてその最たる姿。
このあたりでもう観客は完全にシーザー側。
怒りの表情中心なので俳優さんの目の演技だけで進んで、そこはシリーズ作品群と同じになっていました。
ジェームス・フランコは私にとってはまだ鮮度のある俳優さんなので、優しい青年の役が素直に伝わってきました。キャラが立ち過ぎていないので映像バランスも良かった気がします。
なんとシリーズ化するようで、人類絶滅の危機への序章で締めくくられていました。
『PLANET ~』みたいなラストでなくてよかった。第一作を超える衝撃は無理なのに。笑劇になってしまったんですもの。
でも・・・続けちゃうんですね・・・。