2012年 04月 22日
北村想脚本 『寿歌』 wowow放映
コンパクトに出来る芝居だからでしょう。初演は喫茶店併設の店内だったとか。
設定も多くを説明せず、観客の想像で幾通りにも解釈ができる作品で、『ゴドー』的。
震災後に観ることでその絶望感を痛感する舞台もあれば、散りばめられたメタファーも時に擦り減って感じてしまうものなのだということに気付きました。
日本語のからくりを掘り起こして言葉遊びで示すのもあまり響かなかったけれど、あれ以上やったら野田さんになっちゃいますものね。
生の舞台だからこそ浴びることのできる衝撃が確かに存在して。
お茶の間やらリビングやら集中を欠くものに囲まれた状態では、それは望めないのだと慰めたり。いや、初めて見た宮本亜門氏の『変身』の放映ではそんなことなかったじゃないかと気を取り直したり・・・。
心底から浸れないのは現在の不安定な心境もあるのですれけど。
やれやれ。もう少し晴れ晴れした心持ちで見られれば感想も違ったのかもしれません。
廃墟となった世界なのに無機質でスタイリッシュなセットになっているのは観客のイマジネーションを試しているのか演者を際立たせるためなのか・・・随分きれいな舞台。
ヤスオのことを耶蘇という中国語訳のイエスと呼んでいて正体は明らか。
終末の世にあって今だ役に立たない情けない男なわけですね、救世主は。
ゲサクは戯作?
ルシフェルと名乗ったのは人類が滅亡した荒れ野に遊ぶ堕天使のつもり?
それにしても、敢然たる生命力を感じます。関西ことばって。
偶然なのか演じる3人が兵庫出身。堤さんも戸田さんもネイティブ(笑)なんですが、台詞にするからなのかそうゆう演出なのか、わざと関西弁に変換して喋ってたみたいで。そうすることで真情を隠そうとしてるように聞こえました。
関西のひとはそないには思いまへんでっしゃろれど。
最後の堤さんの表情が全て。
観客が手繰りよせる綱の端をしっかり握っているようでした。
核戦争後の荒廃した世界という設定は珍しくは無いですから、メッセージは普遍的で79年初演の今作が予言的とは言えません。
ただ、不条理劇を実証主義的に受けとめてしまうという、そんな時代になってしまったことへの虚無感に陥りました。