2013年 03月 25日
ウェイン・ワン監督作 『千年の祈り』 wowow放映
妻に先立たれ、いまや北京でひとり静かに引退生活を送るシー氏。彼にとって目下、唯一気がかりなのは、離婚後アメリカに渡って暮らす娘イーランのこと。かくして、ある日彼は、はるばる北京から海を渡って、娘のもとへとやって来る。12年ぶりの再会を果たしたものの、アメリカでの娘の生活は、彼には不可解なことばかり。娘の幸せを願って、あれこれ口出しをするものの、かえって迷惑がられ、シー氏の困惑は深まっていく。
「小津」を意識した創りなのかと思わせる作品でした。
カメラアングルは違うけど。
説明も少なく、時にはそれもなく、淡々と流れて、静謐といったらそうなのかもしれないけれど。
娘イーランの寝室等、決して味気ない絵ではないのだけど、ドアやアパートの単調な外観を合間に写すので、そこに小津的な印象が残ってしまいます。
娘を心配して、お夕飯沢山作ったり、ドアに福の文字が書かれた春節の飾りを下げたり、お守りになる豚の置き物を探しに行ったりと、彼なりに一生懸命に心を砕いているのですが、この品々が(美味しそうな料理も含め)実に心温まるモノたちなんです。
でも、離婚の原因が自身の不倫にある娘はそんな父が疎ましいわけです。
このお父さん、見た眼は無表情だし型物そうなんですが、数少ないご近所さんとも、公園で出会ったイラン人のマダムとも、飛行機や電車で乗り合わせた他人とも屈託なくお喋りしちゃう。
英語はカタコトしか喋れないのに。
(アパートの管理人さん「私はCIAに11年いた」ってほんとかしら・・・)
娘も不倫相手のロシア人と帰宅したとこを見られて、父との軋轢も含め全ての感情を吐露するんですが、父親も娘の誤解を解くために、文革時代にあらぬ噂から無用な自己批判させられた苦い過去を打ち開けます。
その後の娘の、全て吐き出してすっきりしたかのような表情が疑問。
父親にはアメリカ国内の観光ツアーを薦めていたんですが、一緒に行くわけでもなく、見送りを拒んだ父はひとりでこれまた殺風景な人っ子ひとりいない駅のホームに立つんですね。
車内で向かい合わせに座った女性に声掛けられて話し始めるところで映画は終わってるので、人懐こさのある老人がそれなりに楽しんで旅が出来るであろうことを示唆してますが。
タイトルは、父が、娘を戦争で亡くしたイラン人の女性に中国の古い諺「同じ舟で川を渡るには三百年祈らなければならない」を引用し、「互いに会って話すには長い年月の深い祈りが必ずあった。子供となら千年というところでしょうか」からきていますから、決して溝が埋まったわけではないということでしょう。
自分の過去を打ち明けたのも部屋の壁越しということも暗示的。
父親役のヘンリー・オーがまた絶品。