2013年 05月 23日
ジョー ライト監督作 『アンナ・カレーニナ』
冒頭から舞台上でオブロンスキーが髭を剃らせていて、そこからテンポよくアンナとヴロンスキーの出会いまでが描かれているんですが、これが劇場空間だけで表されました。
背景画が変り、登場人物は舞台上で転換するセットを目まぐるしく移動。それは天井のバトンや吊ものの間も使われていました。
清掃係のスタッフまで出てきてNINAGAWA的。
音楽もコッペリアのマズルカのようで、俳優たちはみなマイムやバレエのような動き。
重苦しくなる展開を一気に打ち砕くアイデアに惹き込まれました。
なんと馬のレースまで舞台上。上手から下手へ疾走。ブロンスキーの落馬も舞台上から客席前に落ちる。
ラストでアレクセイが白い花の咲く草原で安静な日々を送る風景でも、実写風景かと思いきやそこも舞台上で、カメラが引くと観客席にまで草原が続いていたのには感嘆。
出奔したアンナとヴロンスキーの生活も美しい風景の中ですが、ほぼリョービンの場面は、広大な農地をはじめ美しいロシアの風景が織り込まれます。
破滅の一途をたどるアンナと対照的に生きがいと使命を見つけ変化していく過程も端的な描写で鮮やかに描かれていました。
カレーニン邸内はセットで、影が強調された室内でした。
調度品も豪奢でしたが、仄暗い部屋に活けられた花がまるでフランドル絵画。
社交界の華であるアンナの装いも勿論豪華。
ほとんどの場面に音楽が流れているのですが、幾重にも巻かれた真珠の首飾りが揺れてさらさら鳴る音、やがて吐息に変わるダンスの時の衣擦れの音、馬の蹄の音に忙しなく振る扇の音を被せたりと、心の揺れ動きを音で表現されて効果的。
演劇的手法と映画的手法を交互に楽しめました。
脚本はトム ストッパード。
敢えて有名なセリフは排除している部分もあり、「教会とか、鐘とか、ああしたものは何のためにあるの?」というセリフもありませんでした。
ヴロンスキーが出かけるのすら嫉妬に苛まれ下着姿で部屋をうろつくという哀れなアンナの姿に、ただ鐘の音が流れるだけでした。
私が以前見たのは多分67年のソビエト映画で、まるでアンナを責めるように教会という教会の鐘が一斉に鳴って、その中を走る馬車の窓越しにアンナが見上げているという場面が強く印象に残っていたので、このセリフを期待していたのですが・・・。
最期も、目が覚めても気付くのが一瞬遅く・・・というのではなく、リアルな表現でした。
ヴロンスキー役の俳優さんは(多分)初めて見ましたがまだ20代前半と若いんですね。
ロシアのバレエダンサーにも見えちゃいました。姿勢が違うけど。
アレクセイ カレーニン役はジュード ロウ。
寛大で耐える夫という役柄が合っていて、このキャスティングですと夫に同情してしまいます。
でもこの作品は、観客がアンナに感情移入してしまうのではなく、揺れ動き戸惑う(監督のミューズである)キーラ ナイトレイを見つめる作品なのかも。