2014年 03月 13日
リー・ダニエルズ監督作 『大統領の執事の涙』
34年間ホワイトハウスで執事を勤めたユージン・アレン氏の実話を基に描かれた物語。
主人公セシルを演じたウィテカーは、英国のバトゥラーのエレガントさとはまた違った緊張感あるバトゥラーぶりでした。
執事仲間にレニー・クラビッツ。セシルの母親役にマライヤ・キャリー(!)。
晩年に夫とオバマを支持活動する妻役にオプラ・ウィンフリーと、総じて配役がシャレてました。
モデルとなった執事のユージン・アレン氏は実際にはトルーマン時代からホワイトハウスで働くことになったようです。
作中の7人の大統領のうち、(フォードとカーターはニュース映像のみ)アイゼンハワーをロビン・ウイリアムス。ケネディをジェームス・マースデン。ジョンソンをリーブ・シュレイバー。ニクソンをジョン・キューザック。レーガンをアラン・リックマン。
皆、それぞれ似たメイクにしています。アイクはその昔ロバート・デュバルが演じたドラマシリーズを見ましたが、R・ウイリアムスが演じるときっと喋り方もそっくりなんだろうと受け入れてしまいます。
短時間ながらその温厚で思慮深いひとがらを的確に表現していました。
A・リックマンのレーガンは、あの作り笑いがそっくり。
ナンシーへの恐妻家ぶりも表されましたが、その役がジェーン・フォンダというのがまた効果的。
ケネディはまったく似ていませんが、ジャッキーとセットで上流階級出身の若き大統領としての雰囲気を作っていました。
ニクソンに至ってはキャスティングの意味が分かりません。鼻は似せて作ってましたが。
汗拭いたり口の悪いところ見せて、ようやくニクソンと気付きました。
似せることが重要ではないのですが、執事の「目の前で歴史が動いた」感覚を強くさせるには必要です。
アメリカ大統領のエピソードだけでも歴史ドラマになるので、人種差別問題に絞ってその時の執務室内を追っているのは見応えがありました。
ケネディ暗殺の場面は、先ずアンカーマンのクロンカイト氏がメガネをはずし時計を見上げるニュース映像を無音で映し、ジャッキーが着たままの返り血を浴びたピンクのシャネルスーツをアップにし、ザプルーダーフィルムの映像は一切流さずにその衝撃を表しました。
号泣するジャッキーに向けて、慰める言葉も失って、退室する時の決まり文句しか言えない辛さたるや・・・。
ただ見終わって、奴隷という出自から大統領の執事として長年勤めあげた黒人がいたという感動的な話なのに、どこか手放しで感動作とは言い切れませんでした。
それは、シット・インやフリーダムライド等から、マルコムXの講演を聴きに行ったり、キング牧師とも関わったりと、実際のニュース映像も交え公民権運動の全てをセシルの長男に凝縮させてしまったことにもよります。
そうゆう活動家がいたのでしょうが、それが政治の内幕まで見られる立場にいる男の息子であるという設定に、過剰なものを感じました。
それに、長年勤務の功労として晩餐会へ招かれた時に、改めて自分たち黒人執事を客観的に見て、白人に仕えてはいても威厳と尊厳のある職業に従事していたはずだったことに疑問を持ち、息子の行動を理解しなかったことに謝罪するというくだりは、納得できませんでした。
彼なりに闘ってきた矜持があったのではないかと。
家族が活動家であることで仕事への影響を危惧するのは、当然ではないかと思うのです。
オバマ大統領に招待された日、ジャッキーから形見分けに譲られたケネディ愛用のネクタイを、それはそれは丁寧にアイロンがけして着けていくところは、印象的です。
同じ民主党のジョンソンから贈られたタイピンを着けるのもちょっといい話。
父と子の物語に重点がおかれているようで、もっと執事としてのドラマも見たかったです。