2014年 05月 20日
ジャック・クレイトン監督作 『華麗なるギャツビー』 wowow放映
F・F・コッポラ脚本
私ったら、長いこと監督を勘違いしていました。誰ということもなく。
・・・シドニー・ルメットとは思ってないですけど。
『スティング』『追憶』後、絶頂期のR・レッドフォード主演。
ラルフ・ローレンのエレガントなサマースーツやパステルカラーのシャツ姿やオールバックの髪型が「似合わない」と、当時は賛否あった記憶があります。
特に印象的だった、ニックが初めてギャツビーと会う書斎の場面。
カーテンの隙間からパーティーの様子を見降ろしていたところで、少し驚いて振り向いた表情。
遂に手に入る、その一歩手前まできた緊張感が見えます。
そのあとの「潰えることのない安らぎを与える、一生に4、5回しか見うけられないほほえみ」。
ギャツビーという男が分かるにつれて、どれほど万感の思い込められたものだったか分かる笑顔。
(過剰な演出加えてはいけなかったのよ)
家具調度も車も衣裳も豪華ですが、照明の問題なのか意図的演出なのか、屋敷内の映像では随分と影が気になりました。
部屋の上部の仄暗さや、壁に映る濃い影とか。
ただ、椅子の後ろに回った時に照明が届かず見えなかった表情が、背もたれに肘を点くと顔に照明があたって明らかになるという効果にはなりました。
悲恋物語ですが、なんでこんなにもギャツビーが一途なのか、当時の私にはミア・ファローの魅力が分からなかったのです。
お人形さんのようにただ可愛いだけの女性ではなかったからこそ、ひとりの男性の生きがいにまで成り得たのでしょうね。
M・ファローのデイジーは、ケロリと残酷なことも言えてしまい、縋るものを手繰り寄せる本能が優れて巧み。
だからこそ、ギャツビーの最期がなおさら哀れに見えてくるわけです。
父親が訪ねてくる場面も、この謎の男がどこにでもいる平凡な、夢をもった少年であったことが父親の涙と共に描かれ、アメリカンドリームの陰影が強く描かれました。
葬儀の日、「ここが息子の家ですか」と訪ねてくる父親。
音信不通だった息子の所在が分かったのが新聞の死亡広告。訪ねた家は豪邸。なのに葬儀には誰も参列しない・・・。息子にいったい何が起こっていたのか。
少年の頃の日記を読んで自分の胸に息子を取り戻そうとする父の心痛いかばかりか。
カレン・ブラック、ブルース・ダーンと、脇役の充実も作品に厚みをもたらしました。
結末の描き方は70年代という時代性も感じられる作品でした。