2015年 02月 26日
クリント・イーストウッド監督作 『アメリカン・スナイパー』
撃たれた父親なのかが持っていたRPGをよろけながらも持ちあげようとする子供。
アルカイダメンバーによるイラン人の子供への残虐な脅迫も、戦争がもたらす狂気と非情が容赦なく突き付けられ、ショッキングな場面ばかりでした。
兵士たちが次第にその戦争の意味を疑問視しはじめ、殺された仲間の復讐という大義を立て、それにすがるしかなかったというのも悲劇。
敵とはいえ、オリンピックメダリストにまでなった男が、その能力をスナイパーとしてしか役立てられないのもまた悲劇ではあります。
敵に包囲された砂嵐に呑まれる市街戦で、どこから敵が来るのかQRFの車両すら差し伸べられた仲間の手も見えない脱出場面。
あえてほとんど観客に状況を見えなくして声だけしか聞こえない場面の恐ろしいこと。
敵(目的)も見えず、見方(祖国)も見えない。この戦争の姿を表しているようでした。
ちょっとした機械音に敏感になり、着いて来る後続車が気になり、些細なことで激昂するようになる。
子供たちがはしゃぐリビングに銃撃戦の音が響き渡り、それはカイルが戦場のニュースを見ているようなのに、カメラがパンするとTV画面には何も映っていない・・・と、帰還する度に進行していくようすは衝撃的でした。
帰還兵のPTSDについて描かれた作品は、ベトナム戦争以降数多くありますが、描き尽くせないほどに多くの兵士とその家族が苦しんでいるのでしょう。
生前のカイル氏を知るひとたちから、仕草までカイルそっくりだったと評されたB・クーパー。
主演男優賞は逃したけれど、プロデューサーのひとりとしてこの作品を完成させた功績は大きいでしょう。
最後に書き換えられた場面はカイル氏の遺児もまだ幼いという配慮があったようですが、尚更にその悲運が迫りました。
玄関先で待っていた男のひと目で分かるその異様さ、それを見た妻タヤの不安な表情の映し方。
全てを気付いている観客に、唯々無念さを込み上げさせました。
私はクリス・カイルという人物を知りませんでしたので、初めて見たニュース映像には胸を絞めつけられました。
沿道を歩道橋を埋めた人々。振られる星状旗。
そして、棺の蓋いっぱいに打たれたシールズのバドワイザーの数。
エンドロールも音楽を流さず遠くに響く砲弾の音だけだったのは、
考える時間を与えられたようでした。