2016年 02月 29日
ジェームズ・マーシュ監督作 『博士と彼女のセオリー』 wowow放映
87回アカデミー賞で、錚々たるノミニーの中で主演男優賞を獲れたのも納得。
ホーキング博士がこんな若くして発病していたとは。なんという残酷さか。
最初にマグカップが取れずに落としてしまう場面は、ああ遂にと。
医師から宣告を受けて先ず「脳は?」と尋ねるのは、道半ばの苦悶を表して痛切。
奥さんのジェーンの苦労もいかばかりだったか。
若くまだ体力も気力もあったのかもしれないけれど、育児もあるのに、よく闘い抜いたものです。
スティーブンが重度障害になってから生まれた子供を「誰の子か知る権利がある」とスティ-ブンの母に疑われるなんて、辛すぎる。
ジェーン役フェリシティ・ジョーンズも年齢を経て苦労の跡が見える顔になってました。
ふたりの選択に罪深さは微塵も感じさせません。
プロとしての多くの経験があり心までも受け止める能力のある女性や支えてくれる男性に、それぞれ惹かれてしまうのは仕方の無いこと。
それは、ふたりがそれぞれに誠実に相手と向いあってきたからだと思えるのです。
全て投げ出したい時もあっただろうし諍いもあったでしょう。いつまでも聖人ではいられない。
それぞれに、もう解放させてあげたいって気持ちもあっただろうし。
だから、宮殿の庭に遊ぶ子供たちを見て、「僕たちが創造したもの」と言ったのでしょうね。
ふたりの「小史」は消えることなくあそこに生きていると。
レッドメインのあまり表現できないなかでの表情の作り方が秀逸。
初めてジョナサンを招いての夕食で、ジェーンが中座して食べられないでいる博士にジョナサンが気遣って食べさせようとした時の、博士の拒絶の表情が素晴らしい!
親友のブライアンが、普通に接しているのもよかった。
時には若さから手助けに気が回らない時もあったけれど、そこは責められない。
銅像に座らせちゃうなんてジョークは楽しくていい。
負担に感じさせないように別の話題で話しかけるのもいいことですよね。
最後の、落ちたペンを拾う想像はいたたまれないけれど、初めてのダンスまで、ふたりの「時間の始まり」の場所への逆行はよかった。