2016年 05月 18日
「希望なんか語らないよ」
初めて蜷川作品を体験したのは04年の『タイタス』初演。
当時の私にとっては与野本町は遠く、知人に強く薦められてようやく重い腰を挙げたのでした。
観劇した日は楽日2日前。上演中に購入したのに座席は運良く2列目の通路側。
終演後の駅への道で、真冬の風が頬に当たって初めて、頬が紅潮しているのに気付きました。
その前にジョナサン ケント氏演出の『ハムレット』を2回観ただけで、まだ観劇も3度目という頃でした。
血で血を洗う復讐劇という激しい内容であったこともあるのですが、舞台上の隅々にまで張りつめて迸り投げつけられる激情を、全身に浴びたようで、ただただ打ちのめされてしまったのでした。
そして、再演『タイタス』の千秋楽のあの大歓声。
あの日の感動は忘れられません。あの場にいられたことがまだ夢のようです。
「終電なんか」。どこかでそんな発言を聞きました。
終演時間を気遣った演出などしないと。
チケットを購入してから、上演時間を知って愕然としたことが何度もありました。
うっかりソワレなど購入してしまって、終演後には駅まで全力疾走。東京駅に着いて尚全力疾走。
『リア王』『真田風雲録』ではやむなく途中で席を立たなくてはなりませんでした。
くそぉーせめて開演時間早くしてよー明日の仕事は休めないんだよーと心の中で悪態をつきながら。
マチネでも、急用で電車に乗り遅れ与野本町の駅から劇場までの坂道を走ったこともありました。
開演時間に遅れると通路演出が終わるまで客席に入れないので、必死。なんとか間に合って席についてもしばらくは汗だくでお芝居に集中できない始末。
蜷川作品は観客にも、容赦ないのでした。
蜷川さんの葬儀にあたって、愛弟子ともいわれ「生んでくれた」と感謝する藤原さんですら「憎しみ」という言葉を使ったのを聞いて、その激烈な闘いが具象以前に存在したことを改めて知りました。
いったい、デビューを飾り、自分の出演していない舞台さえ必ず観劇し、師弟関係といわれる役者と演出家にどれだけの鬩ぎあいがあったのか。
命を賭して幕を開けていたような舞台を多少なりとも目撃してきたことは幸運でした。
なんの舞台後だったか、トレードマークの黒いシャツ姿で、颯爽とガレリアを歩いていく姿が思い出されます。
まだ興奮冷めやらぬ観客の間を縫って、一瞬見えたその横顔には、ほくそ笑んだような笑みが見えた気がしました。
通路の途中で芝居をしたり、舞台奥の扉を開けたり、二階席からアジビラよろしく世界各国の国旗をプリントした紙を撒いたり、舞台上で稽古風景を演じさせたり、ホワイエにまで役者さんたちが練り歩いたり、水や泥の上で芝居をさせ観客にもその飛沫を浴びせたり。
第四の壁どころか、共犯関係にされたよう。
民主党の街頭演説やヘリにかき消される三島の演説や救急車のサイレンを流して、古典の中にある普遍性を強調したお馴染みの演出は、劇場から発信される叫びや怒号が街を駆け抜け社会を震わせた時代を、失うまいと蘇らせようとしているようでした。
あの時代の、湿度を持った熱と暗い寂寥と冷徹な攻撃性を、若い世代に突き付けようと、檄を飛ばし挑発していた舞台ばかりでした。
そこに私は、ほんのひとしずくの、希望と名付けられるものを、観ていた気がしました。