2016年 06月 03日
永井聡監督作 『世界から猫が消えたなら』
原作の書名が映画的だなぁと思っていたんですが、原作の川村元気氏は映画プロデューサーだったんですね。映画好きの友人と、映画の名セリフのやりとりなんてちょっと楽しい。
「考えるな、感じろ」はもれなく出てきますねぇ。喋り方も特徴的でしたしね。フィ~~~ル
間違い電話で「あれ?今『メトロポリタン』見てます?」も面白い。
奥田瑛二さん演じる武骨な職人肌の父親。登場場面の少ない中にも流石の巧さが光りました。
父が撮ったピンボケの写真。嗚咽しながら手も震えて撮った1枚。そこに父親の全てが凝縮されているのは感動的でした。
出産の時も臨終の時も、妻が大切にしていたのであろう懐中時計を修理し続ける男。
妻の時間を進め続けようとしていたかのようです。
最後の「ありがとう」の声のトーンは、まだ若く新米パパらしい。その声の余韻が素晴らしかった。
直後の暗転に流れるテーマ曲も雰囲気に合ってました。
映画好きな友人役の濱田岳さんも、とぼけた可笑しみのある役どころが合ってました。
毎日DVDを渡し続けて、突然「忘れた」の表情もいい。どうしても思いつかなかったのかもしれない。
人生の最後に見せる映画なんてないと店の床にDVDを撒き散らす場面や、最後の日にどう向き合っていいか分からず、ただ涙することしかできない表情は絶品。
残されるものの辛さが感じられました。
余命幾許もない母に、楽しい人生だったのかと「僕」が悔やむ場面。
映画でもドラマでもよく目にする母子場面ですが、佐藤さんの泣き方が男の子らしくて自然でやり過ぎない感じでよかった。
自らも突然、末期と診断され、「シャンプーまとめ買いしたばかりなのに」なんて考えるのは、意外と現実的かもしれませんね。19-20歳の青年にとっては特に。
回想シーンと現在の妄想シーンを交互に出しているので、珍しいお話しに見えますが、ストーリーは平凡。
妄想で起こる事態が画期的な映像であるくらいですかね。
原作はどうなのかあらすじを調べてみましたが、こちらは最後の日へ向けて主人公はさまざまな事をしているんですね。その辺りがほとんど描かれない。
アルゼンチンの場面が設けられていますが、これがちょっと説明不足で唐突。
服装や内装が全体に暗いトーンなので、ブエノスアイレスの明るいカラフルな町並みが対照的です。
それにしてもなぜアルゼンチンへ行ったのか。ふたりとも映画好きだから『ブエノスアイレス』の舞台となった街を見たかったんですかね。それにしては舞台となった橋を教えられてる。
世界中を放浪する生命力溢れる男と出会い、別れた直後にあっけなく交通事故で亡くなってしまう。
幾たびも危険をくぐり抜けてきたであろう人間の生命が、いとも簡単に奪われてしまう残酷を表したかったのでしょうか。
宮崎あおいさん演じる女性はこの無情に抗うように「生きてやる」と叫ぶ。
感動的な場面ではありますが、彼女の死生観がいまひとつ掴めない。
第一、なぜイグアスの滝なのか。大自然の前では、人間なんてちっぽけなものだということ、かな?
ひとにとってひとの生命は、なにより重く大きいものであると、彼女はぶつけたのかもしれません。
主人公は学生で、郵便配達はバイト。郵便配達人であることが彼のストーリーになにか関係があるのかと思いましたが、まったくそうゆうこともなく。
キャベツごと買わなくても、空き箱を貰えなかったのかな?
しかもあんなにたくさんの大玉キャベツが入る箱かなぁ・・・まぁ、不器用さは出ていますが。
もし明日、自分や愛しいひとが消えても世界は変らず動いていく。
たとえ悪魔と契約しても、生命に代えられるものはない。
大切なかけがえのない思い出たちで人生は彩られている。
人生は、「生まれてくれてありがとう」と感謝で迎えられて始まり、生んでくれて「ありがとう」と感謝を返して終わる。
そんなことを、若い魂は知るのですね。