2016年 06月 24日
トム・フーパー監督作 『リリーのすべて』
予告編で『ファンタスティックビースト~』。
古き佳きイギリスの風景がこれほど似合う若手俳優さんはいませんが、そのうちコパーフィールドとがドリアングレイなんかも演じちゃうんじゃないでしょうかね
ゲルダを演じるアリシア・ディカンダー(ディキャンベルって読み方のほうがいいな)はスウェーデン出身なんですね。アカデミー賞でのドレスは「ベル」みたいと称賛されていましたが、あれ、スウェーデンのナショナルカラーって意味ですよね?とEURO16見ててようやく気付きました次第です。
玩具箱のように同じ小さな窓が並ぶカラフルな外壁の建物。運河沿いの市場。整然とした可愛らしいコペンハーゲンの町並みに対して、アイナーとゲルダが住むアパート室内は、まだ若く裕福ではない夫婦の部屋としても殺風景でしたが、その分、変化してゆくふたりの姿が映えました。窓からの光りもやさしい。
衣裳合わせするダンサーをチュチュ越しに撮った画の美しいこと。
画家であることがゲルダという女性にとって大きな意味があるわけですね。
彼女の持つ画力が、無意識に夫の隠された部分までも描きだしてしまった。目の肥えた美術愛好家にはそれが感じとれてしまったんですね。モデルとなった女性の奥底にある何かを。
彼女の能力が、図らずも「リリー」もよって目覚めさせられた。それを彼女自身も少なからず驚きを持って知ることになるこれは、リベラリズムってことなんでしょうかね
苦しんでいる夫をこれ以上傷つけたくない。しかしこのまま進めば、自分は捨てられるのと同じ。浮気されるほうがまだましだわねぇこれじゃ。
開放されるや大胆になっていき、「リリー」として活き活きと外出されたりすると、利己的に見えてしまうんですよね。ただ、そのところをアイナー自身も分かっているのか、公園で冷やかされ殴られた後に向うのは妻の元ではなく、友人ハンスのところなんですね。
この夫婦にとっての救いが、この理解ある友人たちがいたことですね。つかず離れず支えてくれている。どれだけ救われることか。
手術を受けるために出発する駅の場面は、ゲルダにとっては夫との今生の別れ。
アイナーにとっては希望への旅立ちでも、妻にとっては、こんなに残酷な別れはないわけだし。
ゲルダの辛さが胸に迫りました。
列車の中で嬉しさを隠そうとしないのを見せられるとね、やっぱり身勝手に見えてしまうんですよね。
2回目の手術まで間を置かなくちゃいけないのに、生き急ぐように直ぐに2回目の手術受けるなんて言うし。その為に薬の用法容量守らないし。ったく
ゲルダは、支援するパートナーというより、母親のように見えてきました。
1回目の手術を乗り越えた後、デパートの香水売り場で働く「リリー」。
パリに住んでいたことを活かしなさいと上司に言われ、はにかんで俯くところが巧い。
「パリではパヒュームは身体につけません。空中に吹いて・・・潜ります」
・・・これは、お客さん買っちゃうね
この場面、香水瓶越しの画も美しい
遂に「Danish girl」になれて、女性同僚たちと談笑しながら退社するさまも、なんと幸せそうであることか。
簡単に整理のできない問題に悩み惑い続けるアリシア・ディカンダーが巧かった。
繊細なガラス細工のようなエディ・レッドメインに比べて、自ら人生を切り開いていこうとする逞しさが感じられました。
いつか夫から渡されたスカーフが風に飛ばされたのを掴もうとするハンスを停めて
「このまま飛ばさせてあげて」。
この時のアリシアの、感情が溢れ出た表情が素晴らしい。
ようやく彼は自由になれたのだという涙の中に、夫婦のままでいたかったという涙は混じっていなかったのかな
フィヨルドの上を舞う絹のスカーフは一瞬、かもめのように見えました。