2017年 11月 20日
森義隆監督作 『聖の青春』 wowow放映
なぜ分からなかったんだろ。おかしいなぁ
あんなに笑える「ジンジャーエール」が言えるのはこの人だけじゃないかと、つい最近映画版見てて思い出してたとこだったのに。おかしいなぁ
原作本の存在は知っていましたが、作者の大崎氏が将棋雑誌の編集長をされていたことは知りませんでした。
『アジアンタムブルー』しか読んでなくて。
作品中に登場する有名な棋士の名前くらいは知っていましたし、羽生氏のことも七冠達成の時は盛んに報道されたので知ってはいましたが、その程度です。
敗者が「負けました」と宣言しなくてはならない勝負ってあまりないですよね。
将棋のことはルールをはじめほとんど知りませんから、羽生氏が勝ち上がっていく試合が何戦でこれで何冠などのテロップを入れてくださるともっと羽生氏の凄さや村山氏の焦りが、分かりやすかったのに。
主演の松山さんは村山氏に外見を寄せていますが、宿痾の苦しみはあまり細かく表情にも演出にも表現さないのは、ご本人がいかに周囲に気付かせないようにしていたということを示しているのでしょうが、ドラマチックに盛り上げることもなく淡々と静かに描かれているのが、村山氏のみならず将棋という勝負の世界への敬意のように感じました。
ライバルであった羽生氏を演じた東出さんがまた羽生氏そっくりに演じていたので、フィクション部分も、ほんとうにこんなことがあったと受け入れてしまいそうでした。
独特の硬い芝居も功を奏していて、真骨頂なのでは。
最も印象的だったのが、地方の飾り気のない店でふたりがビールを飲みながら語り合う場面。
病気のために結婚ができない無念を吐露された時の、東出さんの表情がよかった。
羽生氏にしてみれば慰めの言葉など憚れるし、女優と結婚したばかりのタイミングで言われて、その話題にも辟易していたのかもしれないところが、ちょっと視線を外した厳しい表情に見て取れて、なんだか羽生氏らしい。
なぜ将棋だったのかと問われても、なぜなのか分からないけれど、ただ今日負けて「私は、死にたいほど悔しい」というセリフも印象に残りました。
「死ぬほど」ではなく「死にたいほど」だと正確に表現するところがまた、彼らしいと思えちゃうんですよね。
村山氏が亡くなって師匠の森氏より先に弔問に訪れた場面は映さず、すでに次の対局の座に居る場面を映しているんですが、その表情には怒りにも似た悲しみや新たに生まれた背負うものへの誓いが見えました。それを弔問の際に見せなかった演出が秀逸。
棋士としても人間的にも対照的なふたりが、道を究めた者だけができる会話をするのも、清々しかったです。
「そこはどんな景色なんでしょうね」
「村山さんとなら行けるかもしれない」
「いつか一緒に行きましょう」
そう言える相手が存在したことが、ふたりにとってはこの上ない幸福だったのでしょうね。